東京大学 海洋アライアンス 日本財団

TOPICS on the Ocean

海の雑学

海の生き物たちが環境変動を避けて逃げ込む「退避海域」

北極海につながる太平洋北部のベーリング海。とくに北米大陸に近い東側には陸から続く大陸棚が広がり、多くの生き物たちが生息して世界的にも有数の漁場になっている。日本の川で生まれたサケも、えさが豊富なこのベーリング海まで旅をして成長する。これは、「サケは栄養たっぷりのベーリング海大陸棚を目指す」でもお話しした。

地図

太平洋北部のベーリング海。今回の研究対象はベーリング海の東部海域。

そのベーリング海にも、地球温暖化の不穏な足音が近づいている。地球温暖化による気温の上昇は低緯度より高緯度で大きい。海水温はもちろんその影響を受けるし、北極周辺の海に浮かぶ海氷も減ってきている。

生き物は、自分を取り巻く生息環境の変化に敏感だ。ベーリング海の生き物たちは、どんなサバイバルの工夫をしているのだろうか。

北海道大学北極域研究センターのアイリーン・アラビア博士研究員らは、ベーリング海東部の大陸棚の海域で、たくさんの種類の生き物がつねに生息している二つの狭い海域をみつけた。そこは、海水温や冬場の海氷の量の変動が小さい海域に一致していた。生き物たちにとって、ここが環境の変動を避けて逃げ込む「退避海域」になっている可能性があるという。

氷期のように長く厳しい気候が続いても、一部の生き物たちは、周囲に比べてまだマシな場所を探して、そこで生きながらえる。こうした場所を退避地という。時間スケールが氷期ほど長くない地球温暖化のような気候の変化についても、この退避地が注目されている。アラビアさんらは、それを海でみつけたのだ。

生き物たちがいつも集まっている海域があった

ベーリング海の東部海域は生き物が多く漁業も盛んで、過去のさまざまな調査データもそろっている。環境変動と生き物の関係を調べるのに好適だ。

この海域に生息する生き物の種類を調べるためにアラビアさんらが利用したのは、米海洋大気局(NOAA)が1990~2018年の29年間、毎年夏に底引き網で調査したデータだ。これを使って、タラなどの魚やカニ、貝といった底生動物など159種を分析した。

海域全体の平均でみると、生息していた生き物の種類は年とともに増加し、年ごとの種の数のブレは小さくなっていく傾向にあった。

さらに、アラビアさんらは、生き物の種類が多く、しかも、その種類が年ごとにあまり増減せずに安定している海域を探した。すると、南部と北部に1か所ずつ、そうした海域がみつかった。両方を合わせても、その面積は研究対象にした海域全体の7%にすぎないが、調査した159種の91%にあたる144種がそこに生息していた。たくさんの種類の生き物がつねに生息している特別な海域が2か所みつかったということだ。なんらかの理由で、ここに生き物たちが集まってきている。

図

生き物の種類が多く、しかも、種の数の年による増減が小さく安定している海域が赤で示されている。太い実線で囲まれた領域が研究の対象海域。細い実線で囲まれた南北2か所が「退避海域」。東側の点線は水深50メートル、西側の点線は水深100メートルの等深線。(アラビアさんら研究グループ提供)

環境変動から逃れる「退避海域」の可能性

その理由を探るため、アラビアさんらは海の環境変動との関係を調べた。注目したのは、冬になって海氷に覆われる海面の割合と夏や冬の水温。これらは年によって変化するが、こうした海の環境変動の小さい海域が、2か所の「特別な海域」と重なった。

この結果から、アラビアさんらは、2か所の「特別な海域」は、気候変動にともなう海洋環境の変化を避けて生き物たちが逃げ込む「退避海域」になっているのではないかと考えている。

地球温暖化の影響で生き物の生息域が変化していることは、これまでにも報告されている。アラビアさんらの研究で興味深いのは、そうした個々の種類というよりも、この二つの海域が生態系というシステムの「退避海域」になっている可能性だ。多くの種類の生き物たちが、ときには食う食われるの食物連鎖を通したネットワークで結びつき、全体として健全な生態系が維持される。生物の多様性にもとづく生態系というシステム。それが気候変動で危機にさらされたとき、こうした退避海域が大きな意味をもってくるのかもしれない。

ベーリング海東部の退避海域では、いったいなにが起きているのか。地球温暖化による海水温の上昇や海水の酸性化は、いま現実のものになっている。海洋生物の生態系や水産業の将来を考えるとき、退避海域の存在はとても気になるところだ。

文責:サイエンスライター・東京大学特任教授 保坂直紀

海の雑学トップに戻る