東京大学 海洋アライアンス 日本財団

TOPICS on the Ocean

海の雑学

サケは栄養たっぷりのベーリング海大陸棚を目指す

あぶらののった切り身を焼いて熱々のごはんで食べるのもよし、酒としょうゆで漬けたその卵も絶品。小さく切ってこうじなどと漬けこむ北国の飯寿司(いずし)も忘れられない。むかしは寄生虫が怖くて生では食べなかったが、いまでは回転寿司の定番だ。今回は、わたしたちの食生活にもなじみ深いサケのお話だ。

サケは、川で生まれ海で育つ。北日本の川で春に卵からかえったシロザケは、流れを下って海に出る。夏から秋にかけてオホーツク海ですごした後に東へ向かい、翌年の夏ごろには北上してアリューシャン列島を越えてベーリング海に達する。日本からは3000キロメートルも離れたこのベーリング海で、さらに東の北米大陸に近いアラスカ湾と行き来しながら成長し、生まれてから4年ほどすると、自分の生まれた川に戻ってくる。そして次の世代を産みおとし、生涯を終える。

山形県・月光川で捕獲されたシロザケ

山形県・月光川で捕獲されたシロザケ。(研究グループの北海道区水産研究所・本多健太郎さん提供)

こうしたサケの回遊ルートは、いろいろな季節にあちこちの海域でサケの群れを捕獲し、遺伝子を調べて故郷の川を探るおおがかりな調査で、1990年代にはおおよそわかっていた。だが、なぜ遠くベーリング海まで行くのか、ベーリング海の何にそんな魅力があるのかがわからない。そのヒントになる研究成果を得たのが、中央大学助教の松林順さんや海洋研究開発機構、東北大学などの研究グループだ。

「窒素同位体比」を成育環境の目印に使う

松林さんらが試みたのは、窒素の「同位体比」に着目する手法だ。

自然界の窒素には2種類ある。全体の99.6%をしめる窒素14と、それより7%ほど重い窒素15の2種類だ。厳密にはその他の窒素もあるが、一瞬だけ誕生してすぐ消えてしまうので、安定して自然界を構成しているのはこの2種類だけだ。このように、おなじ元素なのに重さだけがわずかに違うものを「同位体」という。ある物質に含まれている同位体の割合が「同位体比」だ。

窒素は生き物にとって重要な元素だ。生き物の体をつくる肉などは、たんぱく質でできている。たんぱく質はアミノ酸という物質の集まりで、アミノ酸は炭素と酸素、水素、そして窒素で構成されている。だから、わたしたちを含め生き物は、体の中にかならず窒素をもっている。

窒素14も窒素15も、おなじようにアミノ酸をつくるが、そのとき、窒素14と窒素15の割合は生物によって違う。生物の種類によっても違うし、おなじ種類でも個体によって違う。窒素15を多めに含む生き物をえさにして育つと、その体は窒素15の割合が高くなる。つまり、窒素の「同位体比」が違う。したがって、サケが回遊すると考えられる海域について、えさに含まれる窒素の同位体比を示す分布地図を作っておき、サケを捕獲して体の同位体比を調べて分布地図と比べれば、どこの海域で育ったかがわかる。

問題は、生き物の体は摂取した栄養をもとにつねに作りかえられていくので、過去の情報が消えてしまうことだ。そこで松林さんらが注目したのが背骨だ。サケの背骨は、幼少期の骨がその中心部に保存されたまま、外側へ外側へと成長していく。したがって、骨の中心から外側に向かって窒素同位体の変化を調べていけば、そのサケがどの海域でえさを食べて成長してきたのかがわかることになる。

サケの脊椎骨

サケの脊椎骨(せきついこつ)。これが手前から奥につながって背骨になる。これは、シロザケとおなじサケ科のサクラマスのもの。(松林さん提供)

サケはベーリング海の大陸棚で大人になる

松林さんらは、海にいる動物プランクトンの体を構成しているアミノ酸をもとに、サケが回遊する北太平洋の広い範囲で窒素の同位体比を調べた。その結果、北日本に近い太平洋ではやや高い値を示すが、その東方の北太平洋中央部では低くなり、それがベーリング海に入ると東進するほどに値は高まり、アラスカ半島岸の大陸棚付近では、きわめて高い値になることがわかった。サケの主食はプランクトンで、成長段階に応じてそれぞれの海域で食べたえさの同位体比が、背骨に記録されるわけだ。

分析には、北海道南西部の貫気別(ぬっきべつ)川、岩手県の大槌(おおつち)川で捕獲したサケを使った。それぞれのサケで背骨の中心部から外に向かって10個の骨の切片を作り、含まれている特定のアミノ酸を詳しく調べる方法で、どの成長段階にどの海域でえさを食べていたかを調べた。そのうえで、サケの遊泳能力などを考慮に入れて、回遊ルートを割り出した。

サケが回遊する海域の窒素同位体比

サケが回遊する海域の窒素同位体比。色が濃いほど窒素15の割合が高いことを示している。ベーリング海東部のアラスカに接する大陸棚のあたりで、同位体比はきわめて高くなっている。(海洋研究開発機構のプレスリリースより)

その結果、太平洋に出たサケは、やはりベーリング海に向かっていた。従来の説を裏づけたことになる。そして新たにわかったのは、その成長の最終段階で、ベーリング海が東の米アラスカ州と接する大陸棚に泳いで行っていることだ。この段階でできた骨の窒素同位体比は、この海域の特徴を反映して、きわめて高くなっていたのだ。

これまでの回遊ルート調査では、サケがベーリング海に行くことはわかっていたが、ベーリング海のどこを目指すのかはわかっていなかった。ベーリング海のアラスカ沿岸域は、プランクトンや甲殻類などのえさ資源が豊富で、サケが生殖機能を成熟させて大人になるのに好適な海域だ。松林さんは「日本の川を出発したサケは、えさの豊富なアラスカ近くの大陸棚まで行って成長し、そこで成熟し終えると日本に戻ってくる」とみている。日本からアラスカ沖までは片道4000キロメートルを超えている。子孫を残すための栄養を求めて、サケはこれほどまでの長旅に挑んでいるわけだ。帰りのルートについては、それ以上は背骨が成長しないので、この手法ではわからなかった。

松林さんらが推定に成功したサケの回遊ルート

松林さんらが推定に成功したサケの回遊ルート。2匹のサケは、えさが豊富なベーリング海東岸までしっかり到達していた。(松林さん提供)

松林さんによると、新たに開発したこの分析手法は、海域ごとに同位体比が違っていれば、他にも応用できるという。日本ではない他の地域で生まれたサケは、どのような回遊ルートをもっているのか。シロザケ以外のサケはどうなのか。それもこれから調べていきたいという。

文責:サイエンスライター・東京大学特任教授 保坂直紀

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