東京大学 海洋アライアンス 日本財団

TOPICS on the Ocean

海の雑学

千島列島とアリューシャン列島が海を豊かにしていた

日本列島の北東に広がる北太平洋の西部海域は、生き物たちを育む栄養分に富んでいる。面積は海洋全体の1割にも満たないが、世界中で利用される水産資源の4分の1が、この狭い海域で生みだされているという。日本の川で生まれたサケも、「サケは栄養たっぷりのベーリング海大陸棚を目指す」でお話ししたように、栄養豊かなこの海域に出ていく。

北太平洋の北部海域

今回のお話の舞台になる北太平洋の北部海域。

これまでの研究で、北太平洋北部の海域では、水深500~1000メートルくらいの中層の海水は栄養分に富んでいることが、おおよそわかっていた。しかし、中層に栄養分が多いだけでは「豊かな海」にはならない。海の生き物の最初の餌は、植物プランクトンだ。それを少し大きな動物プランクトンが食べ、動物プランクトンを魚などが食べる。海の生命を支える植物プランクトンは、海面に近い浅いところで育つ。光合成をするために太陽の光が必要だからだ。中層の海水が上昇して浅い表層に達し、その栄養分で植物プランクトンが多量に発生すれば、その海域は餌が豊富で生き物がたくさん暮らせる場所になる。

北太平洋北部のオホーツク海、ベーリング海の周辺では、実際に多量の植物プランクトンが発生している。つまり、太陽の光が届く海の表層に、たっぷりの栄養分が上昇してきている。だが、どういう仕組みで表層に海水が上昇するのかがわかっていなかった。その仕組みを初めて解明したのが、北海道大学の西岡純准教授らの研究グループだ。さきに結論をお話ししておこう。この海域では、中層の海水が豊富な栄養分を保ち続けていること。そして、海水を上下にかきまぜて表層に栄養分を送るのに好適な海底地形になっていること。このふたつがうまく重なって、豊かな海がつくりだされているのだという。

海底の地形が海水をかきまぜる

最初に、海の「栄養分」について説明しておこう。生き物の体は、炭素や水素、窒素、リンなど、さまざまな原子からつくられる物質で構成されている。海水には、窒素の原子は硝酸塩、リンはリン酸塩などとして溶けている。硝酸塩、リン酸塩の「塩」は「えん」と読み、「しお」ではない。硝酸塩は窒素を、リン酸塩はリンを含む特定の原子の集まりで、それが海水に溶けている。植物プランクトンは、体をつくるために、これらの原子の集まりを海水から吸収する。ここでいう栄養分とは、こうした硝酸塩やリン酸塩などを指している。

海水に溶けている栄養分は植物プランクトンに消費されるため、表層にはふつう少ない。生き物の糞(ふん)や死がいが沈んでいくと分解されてふたたび栄養分になるので、人間の活動で汚れていないきれいな海では、深いほうが栄養分が多い。これが、なんらかの仕組みで上昇すると、表層の豊富な栄養分が維持される。

北太平洋の北の縁にあるオホーツク海とベーリング海は、栄養分が多い海域だ。周囲を大陸や半島、列島などで縁どられた海域を「縁海」「縁辺海」という。オホーツク海もベーリング海も縁海だ。島や半島などで囲まれているので、そこには、それぞれの国の領海や排他的経済水域がある。研究目的といえども、公海のように自由な航海はできない。今回の研究でも、日露の共同研究として実施した航海で得たデータを、日本独自の観測データと組み合わせ、やっと全体像がみえてきた。

海洋表層の栄養分(硝酸塩)の分布

海洋表層の栄養分(硝酸塩)の分布。北太平洋北部の緑色~黄色が、この海域に栄養分が多いことを示している。(北海道大学などのプレスリリースより)

西岡さんらは、栄養分を含んだ海水が深いところから浅いところに上昇するスピードを、観測から求めた。その結果、千島列島、アリューシャン列島の位置で、上昇スピードが通常の100~1万倍にもなっていることがわかった。

海にはさまざまな流れがある。潮流も、そのひとつだ。海面の水位は、月の引力などが原因で、約半日の周期でゆっくりと上下する。この現象を「潮汐」といい、海岸では潮の満ち干になる。このとき、海水も地球規模でゆっくり動く。これが潮流だ。潮流が狭い海峡を通ると流れが強くなり、渦が生まれることがある。こうしてできる鳴門海峡の渦潮は有名だ。

千島列島、アリューシャン列島の地形も、潮流にとっては障害物になる。海底のでこぼこに潮流がぶつかり、流れに渦のような乱れができる。海水の重さは塩分や水温で異なり、ふつうは重い水の上に軽い水が載っているので、あまり上下に混じることはない。ところが、流れに乱れができると、ちょうど沸かした風呂をかきまぜたときのように、上下の水が混合される。いまの場合、栄養分に富んだ中層の水が表層に上がってくることになる。そのスピードが通常の100~1万倍なのだ。オホーツク海を縁どる千島列島の地形、ベーリング海を縁どるアリューシャン列島の地形が、この豊かな海を育んでいる。

もうひとつ大切なのは鉄

植物プランクトンの増殖に大切な、もうひとつの栄養がある。それは鉄分だ。鉄分は、海水に溶けて存在できる量が少ないので、かりに硝酸塩などの栄養分が豊富にあっても、この鉄分の少なさが植物プランクトンの生育を妨げることがある。

ところが、オホーツク海、ベーリング海の付近では、この鉄分がじゅうぶんに供給されている。その仕組みも、西岡さんらの今回の分析で初めてわかった。鉄分の出発点は、オホーツク海がユーラシア大陸に接する大陸棚付近。鉄分はここを出発して水深数百メートルを南方に広がっていき、千島列島の地形でかきまぜられて表層に供給されていた。

硝酸塩などの栄養分にしても、鉄分にしても、北太平洋北部にオホーツク海、ベーリング海という縁海があり、その海を縁どる千島列島、アリューシャン列島という地形があったからこそ、植物プランクトンを多量に育てることのできる豊かな海になったわけだ。

考えてみると、この海域は、海水が数千年の時間をかけて世界の海をめぐる「深層大循環」の終着点ともいえる。北大西洋北部で海面が冷やされて沈みこみ、その深層の流れは南下して赤道を越え、南極大陸の近くに達する。そこから東に向きを変え、あるものはインド洋を、あるものは太平洋を北上して、北の行き止まりで上昇する。これが、地球科学者ウォーレス・ブロッカーが「コンベアー・ベルト」として示した深層大循環だ。沈みこんでからの距離からみて、北太平洋の北部海域は深層流の終着点なのだ。

コンベアー・ベルト

ブロッカーが論文で示した示した「コンベアー・ベルト」。(Oceanography、Vol.4、No.2 (1991)より)

ただし、コンベアー・ベルトはあくまでも概念図であり、その通りの巨大な海流が、たとえば日本列島の南岸を北上する黒潮のように、とうとうと流れているわけではない。海水に溶けた物質の動き、海水が運ぶ熱などを総合的に考慮して、地球全体の海水の移動をもっとも単純にまとめた図をつくれば、こうなるということだ。

最近の研究によると、太平洋を北上してきた深層の流れは、コンベアー・ベルトのように、北太平洋の行き止まりでそのまま表層に浮上するのではなさそうだ。行き止まりで向きを変え、浮き上がらないまま南に戻っていくらしい。では、この深層流は、北太平洋北部を栄養豊かに保つことと無関係かというと、そうではなく、栄養分の貯蔵庫である中層の水に、栄養分を少しずつ補給しているのだという。

栄養分を受け渡しする深層、中層、表層の海水の役割

栄養分を受け渡しする深層、中層、表層の海水の役割。この図では右が北、左が南の方向。中層水が栄養分を蓄え、表層水に供給する。中層水の栄養分は一部が南方に抜けてしまうが、深層水がそれを補う。上下方向に水をかきまぜるのが、海底地形(海峡部)の役割。南から来た深層水(AABW=南極底層水)は、北太平洋深層水(NPDW)として戻っていく。(北海道大学などのプレスリリースより)

今回の研究成果には、一枚の大きな絵を描きあげたような面白さがある。断片的にはおおよそわかっていた事柄に新たな観測データを追加して手持ちのピースを組み合わせたら、できがったジグソーパズルには、北太平洋北部が栄養豊かな海である理由が描きだされていたという感じだろうか。「海の栄養分は深いとこからわきあがってくる」という漠然としたアイデアが、この海域では、栄養分の貯蔵庫としての中層の海水の役割を強調した具体的な姿となって、ジグソーパズルに結実した。科学では、最初の素朴なアイデアが、さまざまな修正を経ながらバージョンアップされていくことも多い。2019年2月に亡くなったブロッカーも、きっと喜んでいるだろう。

文責:サイエンスライター・東京大学特任教授 保坂直紀

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