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サンゴはなにを合図に一斉に産卵するのか?
サンゴの群れは初夏の満月に近い夜に一斉に産卵する。種類にもよるが、それはたとえば満月から何日かたった夜で、年によって多少はずれるが、そのずれ方もサンゴの個体によってばらばらというのではなく、群れで一斉にずれる。この現象は「一斉産卵」「同調産卵」などとよばれている。
一斉産卵するキクメイシ(琉球大学のプレスリリースより)
じつに不思議な現象だ。サンゴはどうやって満月を知るのか。その年の産卵日の満月からのずれを、かれらはどうやって決めているのか。最近の研究によって、そのしくみがすこしずつわかってきた。
サンゴは卵を産む小さな動物だ
サンゴはイソギンチャクとおなじ仲間の動物だ。イソギンチャクと違うのは、石のように硬い炭酸カルシウムの骨格を作る点。一つひとつのサンゴは小さいが、体を寄せ合って群れとなり、共同で大きな骨格を作ったりする。その形は、岩のように見えたり、テーブルのように見えたり、枝のように見えたり。いろいろな形がある。
サンゴの体の仕組み
サンゴというと、まず岩のような骨格や、宝飾品になったサンゴの骨格が頭に浮かぶので、なんとなく硬いもののような気がする。しかし、それはサンゴの「骨」であり、サンゴの本体(ポリプ)は軟らかい。卵を産んだり分裂したりして増える。
そのサンゴが、初夏の満月近くの夜、まるで示し合わせたかのように、一斉に産卵する。海中に卵と精子を放出するので、一斉に産卵すれば、受精に成功する確率が高まる。生き残り戦略として理にかなっている。
サンゴは「満月」ではなく暗闇を見る
わたしたちは、夜空を見上げてその満ち欠けや形から満月を知ることができる。サンゴはどうやって満月を知るのか。
台湾中央研究院や琉球大学などのグループが2021年に発表した論文によると、サンゴは、月の出前の真っ暗闇を、満月を知る手がかりにしているらしい。どういうことか。
満月より前は、太陽と地球、月の位置関係で、日の入りより月の出のほうが早い。だから、日の光がなくなるころには、すでに月の光が海を照らしている。つまり、夕方から深夜にかけて、真っ暗になる時間帯がない。ところが、満月を過ぎると、日の入りから間をおいて月が出る。そこに「暗闇時間」がうまれる。
研究グループが対象とした台湾沿岸のキクメイシというサンゴは、自然な状態だと、満月から6日後の夜に一斉産卵する。「暗闇時間」のある夕暮れが何日か続いた夜に産卵するわけだ。
このキクメイシを、日の入りから日の出までの夜間、アルミのシートで覆って月の光をさえぎる遮光実験をおこなった。
満月の3日前にシートで遮光して夜間を真っ暗にすると、その夜を含めて真っ暗な夜が4日続いた次の夜、つまり5日目の夜に産卵した。実際にはまだ満月になっていないのだが、満月以降に特有の「暗闇時間」を疑似的に再現すると、サンゴは産卵したのだ。
満月前日から覆っても、産卵はやはり5日目だった。水槽を使った実験でも、同様の結果が得られた。
整理しよう。キクメイシは、月の光がさえぎられて何日かすると産卵した。これは、キクメイシが産卵のタイミング合わせに使っているのは、満月の光ではなく、真っ暗闇の出現であることを示している。裏を返せば、月の光は「産卵せよ」のゴーサインではなく、「産卵するな」のシグナルだったことになる。真っ暗闇が訪れてそのシグナルが外れると、サンゴは産卵への最終準備を急いで進める。満月を境に急に訪れる真っ暗闇をシグナルにすれば、みんながそろって産卵準備を進めることができ、それが一斉産卵にもつながる。
研究グループの野澤洋耕・琉球大学教授は、「サンゴの産卵には、満月の何日か後に限って産卵するキクメイシのような『定期産卵型』と、産卵日がもうすこしばらばらになるミドリイシのような『不定期産卵型』があるようだ」という。
詳細な産卵記録と研究者との幸運な出合い
そのミドリイシだ。産卵日をピンポイントで絞りにくいだけに、研究例も多いポピュラーなサンゴではあるが、その産卵行動は観察しにくい。その詳しい観察記録を意外なところから見つけ、産卵日と水温などとの関係を分析して最近の論文で発表したのが、東京大学の丸山真一朗准教授らのグループだ。
研究に使ったのは、沖縄美ら海水族館が水槽で育てているミドリイシの産卵データだ。船で観察に行かなければならないし悪天候の日もある実際の海とは違い、水槽なら、日々の記録を克明にとることができる。沖縄美ら海水族館には、職員が2003年から2017年まで15年にもわたって記録し続けた産卵データがあったのだ。
美ら海水族館のサンゴ水槽(Sakai et al. 2024 より)
眠っていたこの貴重なデータと研究者が研究会の場で出合った。「ノートに手書きで書きためた記録でした」と丸山さん。研究者からすれば無二の素材であり、もし科学論文として日の目を見なければ、このデータはやがて忘れ去られていたかもしれない。双方にとって幸運な出合いだった。
水温が高いと産卵日は早まる
このデータは、産卵の有無だけでなく、サンゴ全体のどれくらいの割合が産卵したかを示す詳細なものだった。これまでに実際の海で観察された記録では、「産卵日」とされている日が、産卵の開始日なのかピーク日なのか、はっきりしていなかった。それが、この記録を使うことで区別できた。
その結果、ミドリイシは5~7月に産卵し、毎年の産卵シーズンに1回限りではなく複数月にまたがって産卵すること、そして、産卵のピーク日は産卵初日からかなり遅れてやってくる場合が多いことなどが明らかになった。
また、サンゴの産卵日に影響を与えうる要因として、海水温、降水量、風速、日射との関係を調べたところ、産卵月の満月からさかのぼって2か月間の海水温が高いほど、産卵初日、産卵ピーク日とも早まることがわかった。それに加えて、産卵ピーク日は、満月前1か月の降水量が多く、日射も多いほど早まることもわかった。
キクメイシについても、水温の高い海にいるサンゴは、満月から産卵までの日数が短くなることが、野澤さんらの研究で確認されている。
じつはサンゴだけではない一斉産卵
丸山さんらの研究は、産卵日の決定に関係のある周辺環境は何なのかを調べたもので、どのようなしくみでこれらが産卵日を早めるのか、その理由はわかっていない。この点について丸山さんは、今回の結果をもとに、次のように推測している。
冬が過ぎて海水温が上がり始めると、サンゴの卵は成熟しはじめる。その準備がおおよそ整う初夏になると、満月を合図に産卵のスイッチが入る。実際の産卵日は、その直前の水温や降水量などで微調整して決まる。
もしそうだとしても、そもそもの疑問が残る。水温や降水量など、その時々で変化しやすい環境に合わせるより、満月という確実な「時計」だけを使ったほうが、産卵のタイミングを合わせやすいのではないか。
この疑問に対して、丸山さんはこう考えている。もし満月だけをタイミング合わせに使えば、産卵日にたとえば台風が来てせっかくの卵が散り散りになると、精子と出合えるチャンスが減ってしまう。だが、水温などを使って産卵日を満月からずらせば、そのずれ方にはサンゴの個体ごとに多少の差があるので、産卵日がばらける。こうしておけば、台風の夜に一斉産卵して全滅してしまうことは避けられる。
このほか、知りたいことはまだたくさんある。満月をきっかけに始まる産卵の最終準備で卵はどう変化していくのか。月の光や水温といった物理的な刺激のほかに、フェロモンのような化学物質が影響することはないのか。
この一斉産卵という現象は、じつはサンゴ特有ではない。野澤さんによると、イソギンチャクやヒトデなどでもみられるという。それらがおなじ仕組みで産卵するとはかぎらないが、サンゴの一斉産卵についての研究は、こうした生き物たちに共通した、なにか根源的な生殖の原理に触れているのかもしれない。まだ道は遠そうだが、その先に大きな夢を抱かせる研究だ。
文責:サイエンスライター・東京大学特任研究員 保坂直紀