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海の雑学

ウミガメは毎分2回の心拍で潜水できる

コロナ禍で万が一に備えて買ったパルスオキシメーターを、いまでもときどき使っている。血中酸素濃度と同時に表示される心拍数は、だいたい毎分60回台。運動した後だと80回以上にはねあがる。

この記事の主人公であるアカウミガメの心拍数は毎分20回くらいだ。ただし、それは海面にいるときの話。東京大学大学院博士課程の齋藤綾華さん、大気海洋研究所の坂本健太郎准教授らの最近の研究によると、深く潜水したとき、ひれのような前肢(前脚)を動かして泳いでいるにもかからわず、わずか毎分2回にまで落ちることがあるのだという。

アカウミガメ

潜水深度などの行動を記録する装置と心拍数の計測装置を甲羅に取りつけたアカウミガメ(大気海洋研究所のプレスリリースより)

深く潜水する海の生き物は、哺乳類ならクジラやアザラシ、鳥類ならペンギンなど、ウミガメのほかにもいる。180メートルの深さに潜ったあの巨大なシロナガスクジラの心拍数も、毎分2回ほどに落ちたという記録がある。

肺呼吸をする生き物は、活動するための酸素を肺から血液に乗せて送り出す。その量と関係が深い心拍数は、生き物の基本的な状態を示すだけでなく、運動のしくみを考えるうえでも重要な指標だ。

甲羅の上から心拍数を計る

その泳ぐ姿を見るとなんとも癒されるウミガメは爬虫類の仲間だ。深く潜水する唯一の爬虫類でもある。だが、潜水するウミガメの心拍数の計測は、なかなかうまくいかなかった。体内に装置を埋め込むには硬い甲羅に穴を開けなければならず、その傷が治るには時間がかかる。絶滅が心配されている種もいるので、それは避けたい。

この計測を可能にしたのが、坂本さんらの研究グループだ。甲羅に特殊な電極を貼りつけ、体内に電極を埋め込むことなく心拍数を計れる装置と方法を開発した。わたしたちが健康診断でとる心電図とおなじ原理だ。計測装置は、一定の時間がたつと外れるように工夫してある。

齋藤さん、坂本さんらの研究グループは、この装置を使って、アカウミガメの心拍数が潜水とともにどう変化するかを調べた。体重60キログラム前後の5匹のアカウミガメの甲羅に、心拍数の計測装置のほか水温計、深度計などを着け、岩手県の海岸でそれぞれ72時間ずつの記録をとった。5匹の合計で361回の潜水を観察できた。

海面から水中に潜るアカウミガメは、多くの場合、まず急速に潜ってたとえば数十メートルくらいまでの水深に達したあと、おおよそその深度にしばらくとどまる。それから別の深度に移動することもある。海面に戻るときも急浮上だ。観察した5匹のうち1匹だけは、140メートルを超える深さまで2度潜った。

海面にいるアカウミガメの心拍数は毎分平均21回だったのに対し、潜水中は平均13回に落ちた。140メートルの深さに達したアカウミガメの心拍数は2回にまで少なくなっていた。

潜水しているアカウミガメの心拍数は刻々と変化する。1回の潜水のなかで記録される「最少の心拍数」ともっとも明確な関係がみられたのは、その潜水の「最大深度」だった。その潜水の行き先が深ければ深いほど、心拍数が少なくなっているということだ。

なぜ「深さ」と心拍数に関係があるのか?

考えてみると、これは不思議な結果だ。

アカウミガメは、目的の深度に直行して、すぐに浮上して戻ってくるわけではない。一定の深さでしばらく泳いでいる。したがって、「深く潜る潜水」イコール「長く潜る潜水」とはかぎらない。比較的浅くても時間が長い潜水もある。

もし肺の中の酸素を節約する必要があるなら、深度によらず「長く潜る潜水」のときこそ心拍数が下がってよいのではないか。浅かろうと深かろうと、息ができないことに変わりはないのだから。ところが、潜水時間の長さと心拍数の低下には、さほど明確な関係はなかった。最少心拍数がおなじでも、時間の長い潜水と短い潜水がごくふつうにあった。心拍数の低下と関係が深いのは、潜水時間の長さより、むしろ潜水の深さだったのだ。

「その理由は、よくわかっていない」と坂本さんはいう。生き物の心拍は、外界の変化と単純に結びついているわけではない。わたしたち人間だって、失敗したくないテストや面接の前には、じっとしていても、そう思うだけでドキドキする。潜水するアカウミガメでも、たとえば「今回は深く潜ろう」「これから上昇するぞ」という予期が心拍数に影響することは、可能性としてあり得る。

海で泳ぐ自然状態のウミガメで潜水行動と心拍数の関係を調べた研究は、これまでオサガメを対象とした1例しかなかった。おなじウミガメでも、オサガメは、自分で熱を発して体温を高く保つ「内温動物」で、しかも甲羅が軟らかいオサガメ科のカメ。今回のアカウミガメは、体の熱を外界から得る「外温動物」で、硬い甲羅をもつウミガメ科のカメ。甲羅の硬いアカウミガメ、クロウミガメ、ヒメウミガメなどの潜水行動と心拍数の関係を調べる本格的な研究のスタートとなることに期待したい。

文責:サイエンスライター・東京大学特任教授 保坂直紀

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