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海の雑学

地球温暖化は海の「波浪気候」を変えてしまう

海洋学に「波浪気候」という言葉がある。英語では「wave climate」。波浪とは、風が原因で生まれる波のことだ。一方、気候といえば、暖かいとか寒いとか大気の状態を思い浮かべるのがふつうだから、なんともミスマッチな組み合わせの言葉ではある。

気候は、その地域の平均的な大気の状態を指す。日ごとに変化する瞬間的な状態ではない。たとえば、ある夏の日、札幌のほうが東京より気温が高かったとしても、それは、その日、たまたまそうだっただけのこと。平均すれば、東京のほうが高い。事実、札幌の8月の平均気温が1991~2020年の30年平均で22.3度なのに対し、東京は26.9度だ。札幌の夏の気候は、東京より涼しいわけだ。

これとおなじ考え方で、個々の波ではなく、その海域に出現する波の平均像を描いたものが「波浪気候」だ。だから、ここでいう「気候」は「平均像」くらいの意味。これがいま、注目されている。

波浪気候で大切な要素は、波の「高さ」「周期」「伝わる向き」の三つだ。波の高さについては、観測されるさまざまな高さの波のうち、高いほうから3分の1だけを集めた平均値を使うのがふつうだ。これを「有義波高」という。海をよく知る漁師などが目視でいう「波の高さ」とおおよそ一致することが知られている。周期というのは、その場で海面が上下する時間間隔のこと。一般に、水面の盛り上がりから隣の盛り上がりまでの長さ、すなわち「波長」が長いスケールの大きな波だと、周期は長くなる。

京都大学防災研究所の森信人教授らのグループはここ十数年、世界の波浪気候について研究している。波の強さや平均的な向きは、海岸線の状態におおきな影響を与える。海岸線を維持する砂は、波や沿岸にできる流れで運ばれてくる。これがこのさき、どう変化するのか。強い風で大波が起きたとき、水は陸のどこまで上がってくるようになるのか。自然な状態の変化を考えるうえでも、そして防災の観点からも、波浪気候の研究は大切なヒントを与えてくれる。

2019年にこのグループで研究していたスペイン・カンタブリア大学のイチャソ・オーデリッツ博士研究員らが2022年6月に発表した論文によると、地球温暖化の抑制に世界があまり取り組まなかった場合、今世紀末には20世紀末にくらべて、海の波がもつパワーが大幅に増えると予想される海域があるという。つまり、地球温暖化で波が強くなる。わたしたちが多量に排出している二酸化炭素は、地表近くでは気温を上げ、海に対しては、海面上昇や酸性化ばかりではなく波を強めるという影響をおよぼすのだ。

地球温暖化で海の波はすでに変化している

オーデリッツさんらは、これに先立つ2021年の論文で、波浪気候の観点からすると、世界の海は、平均的な「波の向き」で3種類の海域に大別できることをあきらかにしている。

平均像として西から強い波が来る海域は、南極大陸をぐるりと囲む南大洋や、北太平洋、来た大西洋の中緯度海域。逆に東から波が来るのは、太平洋や大西洋の赤道付近の海域だ。ここでは「貿易風」とよばれる東風が吹くことが、むかしから知られている。そして、南から北に向かう波の海域。南半球の亜熱帯海域や北半球の温帯海域などに分布している。

そしてこれら三つの海域は、すでに地球温暖化の影響が現れていたという。地球温暖化は、たんに地表付近の気温が上がるだけではなく、大気中の水蒸気量や大気循環の仕方など、大気のシステム全体が変わっていく現象だ。「波浪」は海面を吹く風でつくられるので、地球温暖化の影響を受けることは想像がつく。それを過去のデータから実証した。1985年から2018年までの34年間に、太平洋や大西洋の熱帯海域、インド洋の温帯、亜熱帯海域では、波の強さや海面水温などに上昇傾向がみられた。

今世紀末にかけて西から東に進む波のパワーが変化する海域

今世紀末にかけて西から東に進む波のパワーが変化する海域(12月~2月)。赤はパワーの増加を示し、色が濃いほど増加量が大きい。青は逆にパワーの減少を示す。南大洋で波のパワーが増加している。北太平洋では、日本列島の北半分にあたる海域で波のパワーが強まり、南半分の海域で弱まる。(京都大学のプレスリリースより)

「絶叫する南大洋」がもっと絶叫する

2022年の論文では、地球温暖化がさらに進んだ今世紀末(2081~2099年)の予測値を、20世紀末(1985~2003年)と比べた。

波の強さの増加が目立つのは、南極大陸を囲む南大洋で西から東に波が向かう海域だ。大陸が多い北半球とは違い、風をさえぎる地形が少ない南半球の中高緯度は、もともと西風が強い。海も荒れる。それぞれの南緯の海域を象徴して「吠える40度」「狂う50度」「絶叫する60度」などといわれることもある。もし世界がほとんど対策をとらずに温暖化が進めば、この海域の風でつくられる西からの波は、この100年で2割くらいパワーアップする。

北太平洋の中緯度では、日本列島が位置する西の端から北米大陸に接する東の端まで、東向きの波が強い海域が広がっている。ここの上空には、東に向かう偏西風が吹いている。この海域が、今世紀末には北にずれることがわかった。気候区分でいえば、温帯が北にずれるようなものだ。東北地方あたりの緯度を境に、それより北では東向きの波が強まり、南では弱まる。

日本列島の沿岸については、9月から11月までは、東から来る波が強まる傾向にあり、それ以外の季節には、南から来る波が強まるとも予想している。

大気中の二酸化炭素の増加にともなう海の変化として、水温の上昇にともなう海水の膨張などによる「海面上昇」や、海水のアルカリ度が弱まることで生物の生存を脅かす「酸性化」がよく知られている。それに加えて、この「波浪気候」の変化だ。

今回の研究結果では、世界的にみた場合、地球温暖化にともなう日本付近の波浪気候の変化は、かならずしも大きくはない。だが、研究グループの志村智也・京都大学防災研究所准教授によると、それは一安心できることを意味していない。

この研究成果は、広い海域の平均像に注目して得られた結果だ。「平均像」の変化は、砂浜の形状や生態系といったその地域特有の環境に、少しずつジワジワと長期にわたって影響を与え続ける可能性がある。現象としては、たとえば極端な高波の増加のような派手さはないが、だからこそ、意識して注意深く見守る必要がある。人には、見ようと意識したものしか見えない。「気づいたときにはすっかり変わっていた」ということになりかねないのだ。

最後にちょっと補足を。この研究でいう「東向きの波」「北向きの波」は、大海原の広い海域に現れる波の平均的な特徴を指している。波の進む向きは、地球を取り巻く大規模な風が強く吹く向きと関係している。つまり、ここでは海の波の特徴を地球規模のスケールで見ているわけだ。一方、海岸に押し寄せる波は、「波は水深の浅いほうに向かって進もうとする」という性質と関係が深い。岸から沖に向けて風が吹いているときでも、波は沖から岸に向かう。こちらは、海岸という小さなスケールで起きている現象だ。この研究でいう「〇〇向きの波」とは意味が違う。

地球温暖化は、気温の上昇、大気中の水蒸気量の増加など地球規模でのジワジワとした変化が、豪雨や猛暑のような局地的な現象と結びついている。わたしたちの目は、とかく局地的な異変に向きやすい。これからの防災には、波浪気候のような実感しにくい変化にも思いを至らす想像力を大切にしたい。

文責:サイエンスライター・東京大学特任教授 保坂直紀

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