東京大学 海洋アライアンス 日本財団

TOPICS on the Ocean

海の雑学

ウミガメがゆっくり泳ぐ理由

『ペンギンもクジラも秒速2メートルで泳ぐ』(光文社)という、ちょっと意表をつくタイトルの本が手元にある。著者は東京大学大気海洋研究所の佐藤克文教授。クジラはペンギンよりはるかに大きいんだから、泳ぐスピードは、さすがにペンギンより速いでしょう……ということはなく、体重500グラムの海鳥から30トンのマッコウクジラまで25種類の動物を比べたところ、泳ぐスピードは秒速1~2メートルの範囲に収まったのだという。

こうした研究に使われるのは、動物に計測装置やカメラを取りつけて行動を記録する「バイオロギング」という方法だ。イルカやアザラシ、ペンギン、ウミガメといった海の動物だけでなく、陸の動物や空を飛ぶ鳥なども、このバイオロギングを使ってその生態が調べられている。そのおかげで、ふだんの動きからお互いがコミュニケーションをとる様子まで、さまざまな特徴がきちんとしたデータとして記録されるようになってきた。

そして今回は、「秒速2メートル」で泳がない海の動物の話。ウミガメだ。ウミガメの泳ぎはとてもゆっくりで、そのスピードは秒速0.5~0.6メートルにしかならない。だが、ウミガメはサボっているわけではないらしい。佐藤さんと研究を進めた木下千尋・同研究所特任研究員の論文によると、カメにはカメなりの理由があるというのだ。

アオウミガメ

ゆっくり泳ぐアオウミガメ。海草や海藻のほかクラゲも食べる草食中心の雑食性だという。(木下千尋さん提供)

移動のエネルギーを最少にする省エネ泳法

生き物が水中を動くのはつらい。水の抵抗があるからだ。プールの中で歩くのは、路上をおなじ距離だけ歩くより、はるかに多くのエネルギーを消耗する。そして、水の抵抗は動く速さの2乗に比例する。つまり、2倍のスピードで動けば抵抗は4倍に、3倍のスピードなら抵抗は9倍になる。

しかも、ウミガメには甲羅があり、体はペンギンやマグロのような流線形ではない。「流線形」とは流線、すなわち水の流れを乱さず、水から受ける抵抗が小さい形のこと。流線形ではないウミガメの体は、水からの抵抗をもろに受ける。

それならば、うんとゆっくり泳げばよいかというと、そうもいかない。木下さんらが調べたアカウミガメとアオウミガメは、広い海域を回遊することで知られている。1年間で何千キロメートルも旅をする。餌のクラゲなどが豊富な海域を求める行動だと考えられている。このとき、ゆっくり泳げば移動にかかる時間が長くなり、トータルではかえってエネルギーをたくさん使うことになりかねないし、回遊できる海域が狭まってしまうかもしれない。

冒頭の「秒速2メートル」で泳ぐ動物は、おもに哺乳類と鳥類。かれらについては、なぜ「秒速2メートル」なのかが、おおよそわかってきている。ある決まった距離を移動するのに必要なエネルギーが最少になるスピードで泳ぐらしいのだ。つまり、省エネ泳法だ。

具体的には、こういうことだ。海の動物が泳ぐとき消費するエネルギーには2種類ある。ひとつは、生命を維持するために必要なエネルギー。あまりゆっくり泳ぐと、一定の距離を移動するのに時間がかかるので、このエネルギーが余計に必要になってしまう。もうひとつは、水の抵抗に逆らって泳ぐために使うエネルギー。さきほどお話ししたように、速く泳ごうとすれば、抵抗に逆らうためのこのエネルギーが急激に増える。この2種類のエネルギーの和が最少になるスピード。それが計算から求められる「最適スピード」だ。そして哺乳類や鳥類は、実際にほぼこのスピードで泳いでいる。

自動車でいえば、アイドリングに必要なエネルギーと、アクセルを踏み込むことでさらに消費するエネルギーの2種類。目的地に着くまでに使うガソリンを節約するには、時速何キロメートルで走ればよいかという問題だ。

では、爬虫類(はちゅうるい)であるウミガメはどうなのか。これとは別の独自ルールをもっているのか。それを確かめた研究者は、これまでにいなかった。

ルールはひとつだった

木下さんが研究の本拠地にしている岩手県大槌町の同研究所国際沿岸海洋研究センターには、定置網にウミガメが混獲されると連絡がくる。夏のあいだ、この海域にはアカウミガメやアオウミガメが餌を求めてやってきている。活発に動きまわるので、泳ぎの研究には好適だ。

飼育しているウミガメが静かにしているときに消費する酸素の量から生命維持に必要なエネルギーを求め、さらに、実際の海をウミガメが泳いでいるときに水の抵抗でスピードが落ちる様子を観察して、その抵抗に逆らうためのエネルギーも算出した。これから求めた理論的にもっとも効率のよい遊泳スピードは、アカウミガメが秒速0.25~0.31メートル、アオウミガメが秒速0.19~0.37メートルだった。遊泳スピードの実測値は、13匹のアカウミガメで秒速0.27~0.50メートル、9匹のアオウミガメで秒速0.27~0.47メートルだったので、理論値と実測値はほぼ一致したことになる。

つまり、ウミガメがゆっくり泳ぐのには、一定の距離をできるだけ少ないエネルギーで移動するためという立派な理由があったのだ。ペンギンやクジラなどとおなじ理由だ。

では、ウミガメはペンギンやクジラとおなじルールで泳いでいるのに、なぜこんなにもゆっくりになってしまうのか。

ウミガメは、体温が高いペンギンに比べて生命維持に必要なエネルギーは少なく、水中を動くときの抵抗は大きい。そこで木下さんらは、このふたつそれぞれをペンギン並みに仮定して理論的に再計算してみた。すると、ふたつのうちどちらかをペンギン並みにしてしまうと、「ゆっくり泳ぐのが最適」という先の結果は得られなかった。つまり、ウミガメ特有のゆっくり泳ぎは、①生命維持に必要なエネルギーが少ない②体が流線形でなくて水の抵抗が大きい――という両方の特徴があってこそ。持って生まれたこのふたつの特徴から編み出したベストな泳ぎ方だったのだ。

考えてみれば、不思議な話だ。体温を維持する方法や泳ぎ方が違うさまざまな種類の動物が、おなじ原理に導かれて遊泳スピードを決めている。多様であることが本質的な生き物の世界に潜む、シンプルで無二の原理。自然の巧妙さに驚くばかりだ。

文責:サイエンスライター・東京大学特任教授 保坂直紀

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