東京大学 海洋アライアンス 日本財団

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海の雑学

放流アマゴは海に下れなかった

サケは、わたしたちの食生活にとてもなじみ深い。どこの魚売り場でも切り身を買えるし、回転ずしのネタとしても人気がある。コンビニおにぎりの具でも、サケやその卵のイクラは定番だ。シロザケ、ベニザケ、ギンザケなど種類も多い。

サケの多くは、川で生まれて海で育つ。たとえば北日本の川で生まれたシロザケは、遠くアラスカ近くのベーリング海まで回遊する。親から採卵して養魚場で育てた稚魚を川に放流すれば、かれらは生まれた川に戻ってくる性質があるので、日本で捕獲できるサケの量を維持することが期待できる。

サケの仲間には、このシロザケのように、すべてが海に出ることを基本形にしているタイプと、ベニザケやサクラマスのように、海に出る「降海型」と、海に出ることなく川で一生を終える「残留型」に分かれるタイプがある。ベニザケの残留型がヒメマスで、渓流釣りで人気のヤマメはサクラマスの残留型だ。

ヤマメとよく似たアマゴには、海に出てサツキマスとよばれるようになる降海型と、ずっと川のアマゴのままでいる残留型がある。もしサツキマスを増やそうとしてアマゴを放流するなら、よく注意しないとうまくいかないことが、神戸大学の研究グループの調査でわかった。稚魚を放流して調べたところ、降海型に「変身」するアマゴはほとんどいなかったのだ。

サツキマス

サツキマス(写真はいずれも田中達也さん提供)

アマゴは育って「変身」する

淡水の川で生まれ育ったサケが海に出るには、塩水に耐えられるよう体を変化させなければならない。自分の体より塩分が濃い海水の中で生きていくには、体内から塩分を排出するしくみが必要なのだ。このように降海型の体に変身したものを「スモルト」、スモルトになることを「スモルト化」という。

海で育ったサツキマスは春から初夏にかけて生まれた川を上り、秋に上流部で産卵する。その冬に卵からかえった稚魚は、夏の終わりまでに体が一定の大きさにまで成長しているとスモルト化し、海に下る。そして、翌年の春に元の川を上る。スモルト化するまえのアマゴは、体の側面に縦に長い楕円形の模様が並び、美しい朱色の斑点もあるが、降海の準備ができると体の模様は不明瞭になり、体色は銀白色に変わる。

残留型のアマゴとスモルト化したアマゴ

残留型のアマゴ(上)とスモルト化したアマゴ

近年は、ダムを始めとする河川の障害物の影響などで、サツキマスの数は生息域の全域で急減しているという。そのため、養魚場で育てたアマゴの放流でサツキマスの数を回復することが試みられている。

養殖アマゴは川で大きくなれなかった

神戸大学の佐藤拓哉准教授、大学院生の田中達也さん、上田るいさんの研究グループは、2か所の養魚場で育てたスモルト化まえのアマゴ約3000匹を2019年の6~7月に和歌山県の有田川水系に放流し、10月上旬に捕獲して変化を調べた。その結果、捕獲できた320匹のうち、成長してスモルト化していたのは1匹だけだった。率にしてわずか0.3%。比較のために屋外水槽で育てたアマゴは、この時点で半数がスモルト化していた。

アマゴを放流した川の様子

アマゴを放流した川の様子

アマゴは体が大きくなるとスモルト化する。屋外水槽で育てた場合に半数がスモルト化する体のサイズを超えた放流アマゴは、8匹だけだった。

これらの結果から、放流されたアマゴは自然の川では成長が悪く、スモルト化できる体のサイズを超えられなかったと佐藤さんらは考えている。

では、なぜ放流したアマゴはよく成長できないのか。

佐藤さんによると、自然の川に放された養魚場育ちのアマゴは大きくなりにくい。養魚場の餌で育ったアマゴは、自然の餌をうまくとれない可能性がある。水面に落ちてきた虫を食べたり、川底で虫をあさったりする習慣がない。これでは、もともとそこにいる野生種との競争に負けるかもしれない。

佐藤さんらは、これまでの経験から、放流されたアマゴはほとんどスモルト化しないとみていた。それが今回の研究で裏付けられた。「0.3%」というスモルト化率の低さに驚きはないという。

「放流」の悩ましさ

この研究成果をそのまま放流事業にあてはめれば、サツキマスを増やしたいなら、スモルト化したあとのアマゴを放流する必要があるということになる。だが、事はそう簡単ではない。

たしかにサツキマスは、いまでは釣り人にとって幻の魚ともいわれるほど貴重な魚だが、一方で、川に残る残留型のアマゴも、やはり釣りの対象だ。渓流釣りファンのために川のアマゴを増やしたいなら、放流はスモルト化のまえだ。サツキマス釣りとアマゴ釣りのどちらを優先したいのか、あるいは、釣り含めたその川の漁業・観光資源として、アマゴ・サツキマスはアユなど他の魚より有用かといった人間側の事情もからんでくる。

そもそも、今回の研究で捕獲したアマゴは320匹で、放流した約3000匹の1割にしかならない。つまり、養殖アマゴを放流しても、サツキマスは増えず、残留型のアマゴの歩留まりも悪い。また、放流する魚がその川の天然の魚と遺伝的に同一でなければ、そこの生態系を乱すことになりかねない。

佐藤さんによると、アマゴ本来の生態を維持するには、川と海、そして森の保全が欠かせない。稚魚は春、水中の昆虫を食べて成長する。だがその昆虫は、夏になると成虫となって水から飛び出していく。水中では餌が不足する。それを補うのが、森から飛んできて水面に落ちる昆虫だ。アマゴの成長にとって大切な夏の期間、森が餌の供給源になる。

川がその上流部まで海とつながっていることも大切だ。サツキマスは高い水温が苦手なので、冷たい上流までさかのぼって産卵する。だが、川に砂防ダムを始めとする障害物があると、サツキマスは川をのぼれない。かりにスモルト化した放流アマゴがサツキマスとして川に戻ってきても、産卵場所に行きつくことはできず、子孫を残せない。その代かぎりだ。

放流しなければサツキマスは絶えてしまうかもしれない。だからといって放流しても、それは、壊してしまった自然環境の回復とはほど遠いものだ。いっそう不自然な生態系をつくりだすことにもなりかねない。佐藤さんらの研究は、「放流」の悩ましさにも思いを至らせてくれる。

文責:サイエンスライター・東京大学特任教授 保坂直紀

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