東京大学 海洋アライアンス 日本財団

TOPICS on the Ocean

海の雑学

海の酸性化でプランクトンの動きが鈍る

わたしたちは便利な暮らしをするために多量の石炭や石油を燃やし、その結果として大気中に増えた二酸化炭素が、地球の気温を押し上げている。地球温暖化である。そして二酸化炭素の増加が招くもうひとつの大問題。それが海の酸性化だ。

海にはさまざまな成分が溶けているので、海水はややアルカリ性になっている。「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」の第5次評価報告書によると、排出された人為起源の二酸化炭素のうち3割が海に溶け込んでいる。二酸化炭素は水に溶けると酸性になるため、大気中から海水に溶け込む二酸化炭素が増えると、海水のアルカリ性は弱まって中性に近づく。この「酸性化」が現実に進んでいる。

海の酸性化が進むと、そこで暮らす生き物は困る。貝やサンゴのように炭酸カルシウムの骨格をもつ生き物は、その骨格をつくりにくくなる。酸性化や生き物への影響については、「海が酸性化する」「日本からサンゴ礁が消える」でもお話しした。そして、中国水産科学研究院、筑波大学などの研究者グループが最近あきらかにしたのは、海の浅いところを漂う小さなプランクトンに悪影響がおよぶ可能性だ。このまま大気中の二酸化炭素が増え続ければ、今世紀末には植物プランクトンの活動が、種類によってはかなり低下するかもしれないというのだ。

今世紀末には遊泳能力が1割減の可能性も

研究グループは、「鞭毛(べんもう)」という毛で動きまわる海の植物プランクトンで実験した。体は1個の細胞でできていて、ふつうの植物のように「光合成」で栄養分を生産する。大きさは100分の1ミリメートルほどで、鞭(むち)を打つように2本の鞭毛を動かして泳ぐ。

植物プランクトンは小さいが、生き物の世界ではとても重要だ。太陽の光をエネルギー源にする光合成により、体内で二酸化炭素と水から栄養分を作りだすからだ。その植物プランクトンを動物プランクトンが食べて栄養にし、動物プランクトンを魚が食べ、それをさらに大きな魚などが食べる。つまり、植物プランクトンは、海で暮らす生き物たちの栄養の出発点になっている。だから、もし海の酸性化で植物プランクトンに異常がおこると、その影響は海の生き物全体におよびかねない。

ミクログレナ

実験に使った「ミクログレナ」という植物プランクトンの仲間。(Yitao Wang氏撮影、筑波大学のプレスリリースより)

今回の実験では、さまざまな二酸化炭素濃度の海水で5年の長期にわたって育てた植物プランクトンを使った。ふつうの二酸化炭素濃度で育てた植物プランクトンを酸性化が進んだ状態の水槽にいきなり入れて実験すると、環境の急変で一時的に異常な動きをみせる可能性がある。海の酸性化はじわじわ進むので、これでは現実の酸性化を模擬した実験にならない。5年かけてその二酸化炭素濃度になじんだプランクトンを使った点、つまり現実に来るべき酸性化の状態を再現した点が、この研究の特徴だ。

この植物プランクトンには「走光性」がある。走光性は、適度な強さの光に照らされるとそちらに向かって進み、強すぎる光からは逃げる性質だ。立てた円筒容器にプランクトンを入れて白色光を上方からあてたところ、プランクトンが光に近づく速さは、二酸化炭素濃度が400ppmの場合は毎秒20分の1ミリメートルあまりだったが、1000ppmの高濃度だと、この移動スピードが1割ほど落ちていた。高濃度の二酸化炭素だと動きが鈍くなっていたのだ。

気象庁が運営する温室効果ガス世界資料センターによると、大気中の二酸化炭素濃度は、2018年の世界平均で407.8ppmに達している。「ppm」は、大気全体に占める二酸化炭素の割合が体積で100万分のいくつになるかを示す数値だ。このまま増え続ければ、今世紀末には1000ppmを超えるかもしれないという予測もある。大気中と海水中の二酸化炭素濃度はつねに一致するわけではないが、研究グループの稲葉一男・筑波大学教授によると、さきほどの実験結果は、おおよそこの「現在」と、このまま二酸化炭素が増え続けた場合の「今世紀末」に相当すると考えてよいという。

また、1000ppmの濃度で育てられた植物プランクトンでは、鞭毛の形成や運動の調節に関係する遺伝子の働きが悪くなっていた。高濃度の二酸化炭素がたまたまプランクトンのお気に召さなかったというのではなく、体をつくり動きをコントロールする遺伝子の働き方に悪影響がでていたということだ。

影響は植物プランクトンだけなのか?

このような鞭毛をもつ植物プランクトンは、日中は太陽の光が適度に届く海面の近くにいて、夜になるとやや深いところに移動する。海水の二酸化炭素濃度が上がると、この移動の際のスピードが落ちる。今回の実験で使った植物プランクトンは、南極の氷の下にもいる。地球温暖化で氷が減って海面がむきだしになれば、本来なら氷を通した弱い光で暮らすこのプランクトンに、強すぎる光が届くことになる。高濃度の二酸化炭素に加えて強い光のストレスにもさらされ、深浅の往復を繰り返す日々の行動にも異常がでるかもしれない。

植物プランクトンの遊泳スピード

海の酸性化が進むと植物プランクトンの遊泳スピードが落ち、日中は太陽光に向かって上昇して夜間は沈む特有の行動に支障が生ずるかもしれない。(筑波大学のプレスリリースより)

南極や北極に近い高緯度の海域は、一般に植物プランクトンの量が多く、さきほどお話ししたように、かれらが海の生き物たちの最初の栄養をつくりだしている。その海域で植物プランクトンの活動が低下すれば、サケやクジラのようにここを餌場として頼りにしている動物たちを含め、その影響は広く海全体におよぶ可能性がある。

また、稲葉さんによると、ふだんは鞭毛がなくても生殖の時期には生えてくる植物プランクトンがいるし、貝のエラなどに生えている「繊毛」という細かい毛も、見た目は違うが、実質的には鞭毛とおなじだという。ウニや貝などは、生まれたばかりの幼生の段階では繊毛を使って泳ぐ。海には鞭毛や繊毛を使う生き物がたくさんいる。

今回の研究では、この海のプランクトンのほか、海水と淡水が混じりあう汽水域の植物プランクトン、淡水の植物プランクトンでも同様の傾向を確認している。もしこの研究結果が、鞭毛や繊毛をもつ他の生き物たちにもあてはまるとすれば、海の酸性化は、こうした意味でも、やはり生き物の生育環境を根本から脅かす大問題なのかもしれない。

文責:サイエンスライター・東京大学特任教授 保坂直紀

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