東京大学 海洋アライアンス 日本財団

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海の雑学

超深海で巻貝を集める

世界でいちばん高い山といえば、ヒマラヤはチョモランマの8848メートル。3776メートルの富士山をはるかに上回るし、海面から9000メートルといえば、もちろん高いには違いないが、海面下はもっと深い。世界最深はマリアナ海溝の1万920メートル。この水深には諸説あるが、いずれにしても海底には海面下1万メートル超の地形がある。そんな深海にすむ生き物を調べるのはたいへんだ。ちょっとやそっとでは手が届かないからだ。琉球大学熱帯生物圏研究センターで研究している日本学術振興会特別研究員の福森啓晶さんらのグループが注目したのは、千島・カムチャツカ海溝の水深9000メートルの世界。水深5102~9584メートルから592匹もの巻貝を集めたのだ。

水深9000メートルまで採集ネットを下ろした

この調査は、ドイツの調査船「ゾンネ」を使って2016年8~9月に行われた。場所は、千島列島の南側を南西―北東方向に走る千島・カムチャツカ海溝。海底に深く刻まれた巨大な谷だ。ここで深海の生き物を対象とするまとまった調査が行われたのは、ロシアが実施した1960年代以来だという。

水深9000メートルの海底にすむ巻貝を集めるといっても、その手法は素朴なものだ。大きな虫とり網のようなネットをワイヤーで船から下ろし、海底を10~20分ほど引きずって泥を集める。それを船に揚げて、ネットにたまった泥を取り出す。泥を海水で洗いながらふるいにかけると、貝などの生き物が残る。それを船内の実験室で仕分けする。保存する必要があるものはアルコールにつける。このほか、筒状の容器を縦にしたまま船からつって下ろして海底に着地させ、海底の泥を回収することもある。いずれにしても地道な作業だ。

深海の海底を引きずって泥を集めるためのネット

深海の海底を引きずって泥を集めるためのネット。(写真はいずれも福森さんら研究グループ提供)

超深海の巻貝カタログがいっきに5割増し

海洋生物学の世界では、そこに生息する生き物の特徴によって、海の深さを区分している。水深3500~6500メートルが「深海帯」で、それより深い部分が「超深海帯」だ。福森さんたちの調査では、深海帯と超深海帯の巻貝を集めたことになる。

こうして集めた水深5102~9584メートルの592匹を分類した。まずは貝殻の形に注目し、不明な場合はDNAも参考にする。その結果、種の数は86種に分けられ、その多くが新種であることがわかった。86種のうち水深6500メートルより深い超深海帯の巻貝は22種。これまで全世界の超深海帯で確認されているものは43種だというから、その巻貝カタログをいっきに5割増しにする成果だ。

6500メートルより浅い「深海帯」にいた70種のうち、それより深い「超深海帯」にもいたのはわずか6種だけ。逆に、「超深海帯」でみつかった22種のうち「深海帯」にもいたのは6種だけ。つまり、深海帯と超深海帯とでは別々の種の割合が高かった。これは、これまでに別の海域で採取された巻貝についてもあてはまる傾向だという。今回の調査で巻貝を採取した水深になると、深海帯でも超深海帯でも水温はほぼ一定の2~3度くらいで、もちろん光も届かない。水圧は水深10メートルごとに1気圧ずつ高くなるので、水深5000メートルなら500気圧、9000メートルなら900気圧。なにが巻貝の生息深度を分けているのか、その点はまだ謎だ。

今回の調査で確認された86種の巻貝

今回の調査で確認された86種の巻貝。

世界最深の化学合成生態系か?

もっとも深い9584メートルでみつかった貝は、「化学合成」で支えられている生態系に特有の貝だった。ふつう海の生態系は、海面に差し込む太陽の光を使って植物プランクトンが光合成で栄養分をつくり、それをさまざまな生き物が利用する「光合成」に支えられた生態系だ。太陽の光が届かない深海では、海底から噴きだす熱水や冷水に含まれるメタンや硫化水素を利用してバクテリアなどが基本となる栄養分をつくる不思議な「化学合成」の生態系がみられる。今回の調査で海底から熱水や冷水が噴きだす様子が確認されたわけではないが、この巻貝の発見は、世界最深の化学合成生態系の存在をうかがわせているのだという。

このような超深海帯は、おもに海底の深くて巨大な「海溝」に分布している。今回の千島・カムチャツカ海溝では、超深海帯でみつかった22種のうち7割にあたる16種が、深海帯にはいない固有な種だった。過去の研究によると、他の海溝でも超深海帯にいる巻貝の7割がその深さに固有の種だという。世界あちこちの超深海帯にいる貝には、どれくらい共通点があるのだろうか。海溝の超深海帯から別の海溝の超深海帯に移動するには、いちど海溝の深い谷からでて浅いところを渡らなければならないはずだが、そんなことができるのだろうか。まったく別の種なのだろうか。福森さんは「今回の調査では貝のDNAも記録している。千島・カムチャツカ海溝の貝が他の海溝の貝と遺伝的によく似ているとなれば、海溝から海溝へ移動した可能性もでてくる」という。

※東京大学大気海洋研究所による研究紹介はこちらです。

文責:サイエンスライター・東京大学特任教授 保坂直紀

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