東京大学 海洋アライアンス 日本財団

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海の雑学

わたしたちによく似た「古細菌」の培養に成功

いま地球上でみつかっているあらゆる生き物は、三つのグループに分類できる。ひとつは、わたしたち人間も含まれる「真核生物」のグループ。遺伝子の本体であるDNAという物質がつまった「核」を細胞中にもっている。そして「バクテリア」のグループ。「細菌」ともいう。大腸菌や乳酸菌などがこのグループに含まれる。もうひとつが「古細菌」または「アーキア」とよばれるグループ。細菌の名がついてるが、さきほどのバクテリアとは別のグループだ。

地球が46億年まえに誕生し、最初の生命が出現したのは40億年まえ。そのころから別々の3グループがいたのか。あるいは、どれかからどれかが派生したのか。とくに気になるのは、わたしたちが属する真核生物がどうやって現れたのかという点だ。微生物の遺伝情報を記録しているDNAを分析した結果、真核生物はいまから16億年ほどまえにアーキアから分かれたと考えられている。

だが、それを確かめるには、分かれたころのアーキアにできるだけ近い種類、すなわち真核生物に近いアーキアをみつけだして培養し、その性質を克明に調べる必要がある。どんな姿をしていたのか、真核生物とどれくらい似た生態だったのかは、DNAだけではわからないからだ。それに初めて成功したのが、海洋研究開発機構の井町寛之主任研究員、産業技術総合研究所の延優研究員らのグループだ。

独自の装置で12年かけて培養

真核生物に近い「アスガルド」という一群がアーキアのなかにいることは、海底堆積物に含まれている微生物群のDNA研究からわかっていた。井町さんは12年かけて、アスガルドに含まれるアーキアの一種類を培養することに成功した。このアーキアが含まれていたのは、紀伊半島沖の水深約2500メートルの海底から2006年に採取した堆積物。独自の装置を組み立てて堆積物中の微生物を培養し、そこから目指すアーキアをえり分けて育てることに成功した。

海底の堆積物を採取した場所

海底の堆積物を採取した場所。この堆積物に目指すアーキアが含まれていた。(図と写真はいずれも海洋研究開発機構提供)

このアーキアだけを育てて観察することで初めてわかったのは、まずその形だ。直径が1ミリメートルの2000分の1くらいの小さくきれいな球形だった。1個が2個に分裂するごくふつうの増え方で増殖していった。特徴的だったのは、その増えるスピードがきわめて遅いことだ。一般に大腸菌などの微生物は増殖が速いものだが、このアーキアは、1個が2個になるのに20日前後もかかった。大腸菌の増殖スピードの1000分の1ほどで、真核生物に近いという。遺伝子も真核生物に近かった。延さんによると、アクチンというたんぱく質に関連する真核生物に特有の遺伝子を、このアーキアももっていた。生態も遺伝子も、真核生物にきわめて近いアーキアなのだ。

みつかったアーキア

みつかったアーキア。右下の横棒は長さを示し、「nm(ナノメートル)」は1ミリメートルの1000分の1のさらに1000分の1を表す単位。500nmは1ミリメートルの2000分の1。

腕でバクテリアを絡め取って進化した?

真核生物の細胞とアーキアのおおきな違いは、真核生物の細胞は、たくさんの「部品」を内部に含む複雑な構造をしていることだ。たとえばミトコンドリア。酸素を使い、生体が生きていくために必要なエネルギー物質を細胞内でつくっている。細胞中の「部品」ではあるが、細胞とは違う独自の遺伝子をもっており、もとは別の生物だったと考えられている。ミトコンドリアは、真核生物が誕生するときアーキアに取り込まれたらしい。

それを裏づけてくれそうな状況証拠も、培養に成功したことで観察することができた。このアーキアはきわめてゆっくり増殖し、4か月ほどたつと、それ以上は増えなくなる。増殖をやめる直前になったとき、意外なことがおこった。きれいな球形だったアーキアから、何本もの触手のような腕が伸びてきたのだ。

触手のような腕を伸ばすアーキア

増殖のペースが鈍るころになると、アーキアは触手のような腕を伸ばす。右下の横棒は長さを示し、「μm(マイクロメートル)」は1ミリメートルの1000分の1を表す単位

かつて地球上には酸素がなかった。いまから27億年まえになって光合成を行うバクテリアが登場し、酸素が生まれた。だが酸素は、たとえば鉄と結びついてさびさせてしまうように、他の物質をだめにしてしまう。酸素がない状態で生きていたアーキアにとって、酸素は有毒だ。もし酸素を消費して無毒化することができるバクテリアを利用すれば、酸素があると生きていけないアーキアも酸素環境下で生きていけるはずだ。

「酸素を利用するバクテリアを、あの腕のような突起物などで絡め取って一体化し、細胞内の一器官として取り込んだのではないか。このバクテリアがミトコンドリアの祖先かもしれない」。延さんらは、そのような仮説を新たに立てた。生命の進化の過程で、あるものはアーキアに、あるものは私たち真核生物に分かれたのではなく、まず最初にあったのはバクテリアとアーキアであり、そのアーキアがバクテリアを取り込むことで真核生物が誕生した。アーキアの培養に成功し、その生態を観察して遺伝子の分析も詳細にできたことで、この仮説が真実味を増したということだ。

「査読」のまえに評価が高まる

生命の根源に迫るこの研究は昨年、米国の科学論文誌「サイエンス」が2019年の十大ニュースに選んだ。それほどインパクトの大きな成果だということだ。だがじつは、この研究が「査読」とよばれる審査を経て論文誌「ネイチャー」に掲載されたのは、年が明けて1月16日のことだ。公表前にすでに評価が高まっていたことになる。

科学の世界では伝統的に、査読を経て論文になったものだけを評価の対象としてきた。研究成果をまとめた論文を論文誌に投稿すると、論文誌の編集部は、その分野に詳しい別の専門家に論文の評価を依頼する。これが「査読」の制度だ。この査読で認められた論文だけが論文誌に掲載され、日の目をみることになる。研究した当事者の主張がこうして第三者により客観的に認められ、それで初めて科学の成果として定着するのが、これまでの科学のルールだった。

井町さんらは、今回の論文を2019年8月に「ネイチャー」誌に投稿すると同時に、最新の成果を研究者が共有するための「プレプリントサーバー」にも投稿した。プレプリントサーバーをチェックすると、まだ査読を通って科学としての正統性が認められていないはずの段階で、関係者はその成果を知ることができる。

井町さんによると、プレプリントサーバーに投稿した直後、論文の正式な投稿先である「ネイチャー」誌ではなく「サイエンス」誌の8月16日号に、この研究成果に関する記事が載った。「触手を伸ばす微生物が、単純な構造の細胞が複雑化するしくみの手がかりに」と題するこの記事では、論文の概要がすでに紹介されている。ネット上では称賛の声も広がった。

今回の研究成果は、「ネイチャー」が論文を値踏みして公表するまえに、インターネットを通して多くの研究者の「集合知」が、すでに論文の価値を判定してしまっている。「ネイチャー」のライバル誌ともいえる「サイエンス」が、十大ニュースとしてこの論文の価値を「ネイチャー」より先に認めてしまったのが、そのなによりの証拠だ。数名の査読者によって論文の価値が初めて認められるという旧来の科学の制度は、もうこのインターネットの時代にそぐわないのかもしれない。それならば、いったいのこの「査読」という制度はどういう意味をもつのか。こうした科学の作法の点でも、興味深い研究だった。

文責:サイエンスライター・東京大学特任教授 保坂直紀

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