東京大学 海洋アライアンス 日本財団

TOPICS on the Ocean

海の雑学

「ゆっくり温暖化→海流の急変→温暖化の急進」が再現された

いま地球の気温は上昇している。20世紀の後半は100年あたり1.2度のペースで上昇し、このままだと今世紀末までの100年でさらに4度くらい上がると予測されている。言わずと知れた現在の地球温暖化だ。

しかし、過去には現在より格段に速いペースで温暖化が進んだことがある。いまから1万5000年ほどまえ、グリーンランドの気温は50年ほどの短期間に10度以上も上昇したことがわかっている。寒い氷期から暖かい間氷期へとゆっくり向かっていた時代のできごとだ。そのころの気温上昇は1000年で1度にもならない緩やかなものだったが、1万5000年まえに突然、急上昇した。別の状態に一気にジャンプしてしまったかのようだ。日本のあたりでも、この時期に気温が上がったらしい。

注目すべきは大西洋の深層循環

あまりにも急なこの気候変化の原因と考えられているのは、海流の激変だ。海流といっても、黒潮や親潮のように海面近くを流れている海流ではなく、海の表層から深層におよんで地球全体をゆっくりめぐる「深層循環」という大規模海流だ。北大西洋の北部で、寒冷な気候に冷やされて重くなった海水が沈み込み、数千年かけて世界をめぐりながら熱を運ぶ。当然、地球の気候にもおおきく影響する。

この深層海流のうち大西洋の部分を、とくに「大西洋子午面循環(たいせいようしごめんじゅんかん)」とよんでいる。子午面とは、地球を北極から南極にかけてすぱっと縦に切った、南北の断面のこと。大西洋子午面循環は、大西洋の深層循環のうち南北方向の流れに注目した呼び名だ。

北大西洋で沈み込んだ海水は深い部分を南下し、赤道を越えて南極大陸にいたる。大西洋の表層では、逆に南から北へ海水は動く。北大西洋では南から温かい水を高緯度に運んでくるので、ヨーロッパは高緯度のわりに気候は温暖だ。深層循環は、このように気候と結びつく。南極近くで沈み込んで北に向かう深層の流れもある。おおざっぱにいうと、大西洋を流れる深層循環の動きは、東西方向ではなく南北方向が優勢だ。だから、大西洋の深層循環を考えるときは、子午面循環に注目することが大切なのだ。

地球全体をめぐる深層循環の概念図

地球全体をめぐる深層循環の概念図。北大西洋のグリーンランド沖で表層の海水が沈み込み、数千年かけて地球をめぐる。ここには描かれていないが、南大西洋の南極大陸の近くにも海水が沈み込む場所がある。実際の海には、表層だけを流れる海流やたくさんの渦もあり、図に描かれた巨大海流がこの通りに流れているわけではない。あくまでも平均像であり概念図だ。(図は米航空宇宙局のホームページより)

強まるはずのない海流が強まった謎

大西洋の循環は、地球全体の深層循環の出発点でもある。これまでの研究から、大西洋子午面循環が不活発だと地球は寒くなり、活発だと暖かい地球になると考えられている。この大西洋子午面循環が、1万5000年まえに急に流量が増えて活発になったようなのだ。

だが、暖かくなっている最中に大西洋子午面循環が活発化するというのは、じつ不思議なことだ。暖かくなれば、グリーンランドの陸地を広く覆う厚い氷、つまり「氷床」が解けて真水が海に流れ込む。すぐそばには、北大西洋で海水が沈み込む場所がある。真水は塩水より軽い。したがって、軽い真水が重い塩水の上に乗っている状態になり、表面の海水は冷やされても沈み込みにくくなるはずだ。したがって、暖かくなっている最中に子午面循環が活発化したというのは、矛盾した話なのだ。なにか沈み込みやすくなった別の理由があるはずだ。

東京大学大気海洋研究所の小長谷貴志特任研究員と阿部彩子教授は、このときの様子を、コンピューターシミュレーションで再現した。その結果、注目すべきは、南極の近くから沈み込んで、深層を北へ広がっていた海水の流れであることがわかった

当時、大気中の二酸化炭素の増加にともないゆっくり進行していた温暖化のため、南極近くから深層にいたるこの流れの温度が上昇し、また塩分も薄まった。その結果、深い部分の海水が軽くなっていた。つまり、北大西洋の沈み込み海域周辺では、重い海水の上に軽い真水が乗っているのではなく、あまり重くない海水の上に真水が乗った状態になっていた。表層の水が沈み込みやすい素地が、あらかじめできていたのだ。だから、冬に海面が冷やされてすこし重くなるだけで、温暖化で表層に軽い真水が供給され続けていたにもかかわらず、沈み込みが活発化した。

なぜ子午面循環は急に変わったのか?

では、温暖化は徐々に進行していただけなのに、大西洋子午面循環はなぜあるとき「急に」活発化し、グリーンランドの気温も急上昇したのか。その引き金は何だったのか。

小長谷さんによると、その点は、まだはっきりしていないという。大西洋子午面循環がいったん強くなると、表層では、塩分が濃くて重い低緯度の海水が、これまでよりたくさん北に運ばれてくる。そのため、北大西洋の北部では、海水が沈み込みやすくなって大西洋子午面循環がいっそう強化される。このように、大西洋子午面循環には、いちど強まればさらに強まって急速に強さが増すしくみが内蔵されている。だが、なにがこの急変の引き金をひいたのかは、まだわかっていない。

地球の気候や海流には、ある状態が急に変化して別の状態がしばらく続き、またなにかをきっかけに元の状態に急に戻るという不思議な現象があることが知られている。ちょっとしたきっかけで「二通り」の状態を行き来するのだ。

たとえば、日本の南岸を流れる海流の黒潮。岸に沿って流れる直進パターンと、紀伊半島付近で沖に離れて伊豆半島のあたりに戻ってくる蛇行パターンの二通りがある。まわりの状態に特段の変化はみられないのに、あるとき急に片方から片方に移る。黒潮の流れのパターンが違えば水温も変化し、漁業にも影響を与える。だが、この二つがなにをきっかけに移りあうのかは、まだよくわかっていない。したがって、移りあうタイミングを正確に予測することは、現段階ではできない。また、地球はむかし赤道近くまで氷で覆われていたことがある。「全球凍結」だ。この寒い地球と現在の温暖な地球も、「二通り」の地球だと考えられている。これらの「二通り」を行き来するときは、まるでジャンプでもするかのように、急に状態が変わる。

小長谷さんらのシミュレーションでは、北大西洋に浮く海氷が温暖化で少なくなり、高緯度側に後退する様子も再現されている。そしていま、現実に北極圏の氷は減り続けている。今回のシミュレーションで再現された気温のジャンプが、現在の地球温暖化で起こらないとよいのだが……。

※東京大学大気海洋研究所による研究紹介はこちらです。

文責:サイエンスライター・東京大学特任教授 保坂直紀

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