東京大学 海洋アライアンス 日本財団

TOPICS on the Ocean

海の雑学

南岸低気圧と黒潮

東京をはじめ本州の太平洋岸に大雪が降ると、「南岸低気圧」という言葉が新聞やテレビによく登場する。この低気圧は、九州から関東のあたりにかけての南の沖合を、陸地に沿うように東へ移動していく。だから「南岸」低気圧とよばれるのですね。東京では、春への気持ちがふくらむ春分の日のころに、この低気圧で雪が降ることもある。

この南岸低気圧の通る道筋が、どうも海と関係しているらしい。しかも、日本南岸を流れる世界最強クラスの海流である黒潮と関係があるらしい。東京に大雪が降りやすいかどうかに、黒潮が影響しているというのだ。

南岸低気圧は東シナ海うまれ

南岸低気圧のふるさとは東シナ海の近辺。ここで発生して、上空を東向きに流れる偏西風とともに日本に近づいてくる。

低気圧には、おおきく分けるとふたつのタイプがある。ひとつは台風でおなじみの熱帯低気圧。もうひとつは、日本付近をしょっちゅう西から東に動いていく温帯低気圧だ。南岸低気圧は温帯低気圧で、日本列島に沿うように南海上を東へ動いていくと、こう呼ばれる。冬から初春にかけて、しばしば発達しながら関東付近をかすめて通り、東京などに大雪を降らす。

低気圧のまわりには、反時計回りの風が吹いている。この現象には、自転している地球に特有の「コリオリの力」が関係しているのだが、ここでは説明を割愛します。低気圧のまわりで反時計回りに風が吹くということは、低気圧の東側、つまり進行方向の前面では南からの暖かい風が、西側では冷たい北風が吹くことになる。南岸低気圧が日本列島のうんと近くを通ると、天気が劇的に悪くなって大雪になりそうな気がするが、そうではない。いまお話しした理由で低気圧は前面に暖気をともなっているので、東京などの気温があまり下がらず雨になる。かといって、離れすぎると雨も雪も降らない。雪が降るには、近くも遠くもないほどほどのところを通ることが必要なのだ。

黒潮に沿って移動する

黒潮の蛇行時(左)と直進時に南岸低気圧がどこを通ったかを示した図。赤や黄色のマス目の海域は、そこをたくさんの低気圧が通ったことを表している。直進時は本州のすぐ近くが赤っぽいのに対し、蛇行時は岸からやや離れている。白い線は、黒潮の代表的な蛇行路と直進路(中村啓彦・鹿児島大学准教授提供)

では、冬の南岸低気圧は、どんなとき列島に近づき、どんなときに離れて通るのだろうか。

鹿児島大学の中村啓彦・准教授は、日本の南岸を流れる黒潮に注目した。黒潮が流れる道筋には、列島に沿ってほぼまっすぐ流れる「直進路」と、紀伊半島のあたりでいったん沖にでて伊豆半島や関東のあたりに戻ってくる「蛇行路」の二通りがある。直進路のときと蛇行路のときとでは、海面の水温パターンが変わる。大気は、海面からもらった熱を上昇気流などのエネルギー源にする。だから、低気圧が水温パターンの変化になんらかの影響を受けることは、十分にありうる話だ。

気象庁が発表した天気図を使い、2006年から07年にかけての冬まで過去38回分の冬について調べた。その結果、黒潮が直進しているとき、南岸低気圧は本州南岸に張りつくように東へ進むのに対し、蛇行しているときは、東海沖のあたりで岸から離れていく傾向にあることがわかった。まるで、南岸低気圧が黒潮に沿って移動しようとしているかのようにみえるのだ。

最近では、太平洋の赤道域で起きるエルニーニョやラニーニャという現象が、冷夏や冬の寒波といった世界の天候に影響することは、世間でもおなじみになってきた。大気はそもそも海の影響を受けやすい。しかし、これは世界規模の大きなスケールの話。中村さんは、日本沿岸のような比較的小さなスケールでも、海が天候に、しかも低気圧の通り道にまでストレートに影響している可能性を示した。ちょっと意外な結果である。

そうそう、雪の話もしなければ。さきほどお話ししたように、南岸低気圧があまりに沿岸近くを通ると、気温が下がらず雪になりにくい。中村さんは、黒潮が蛇行しているときと直進しているときとで、南岸低気圧が東京にどれだけ雪を降らせたかを数えた。すると、蛇行のときの南岸低気圧は58個のうち12個で雪が降ったのに対し、直進のときは、25個の南岸低気圧がやってきたのに降雪はゼロだった。黒潮が蛇行しているときの南岸低気圧は日本列島からやや離れて通り、その結果として、冬の寒気で冷えている東京はあまり低気圧の暖気で気温が上がらずに雪が降る。どうも、そういうことらしい。

コンピューター実験による分析

では、低気圧の通り道が、なぜ黒潮の流れ方に影響されるのか。その点を、コンピューター・シミュレーションによるデータを使ってあきらかにしたのが、国立環境研究所の早崎将光・特別研究員だ。さきほどの中村さんの分析は、実際の天気図をもとに黒潮と南岸低気圧の関係を調べたもの。早崎さんの研究は、コンピューターでの模擬的な実験データではあるが、そのぶん、たとえば海と大気の熱のやりとりなどを細かく分析できる。つまり、因果関係に迫ることができる。お互いが補い合う関係にあるのだ。

黒潮は、その流れの右側、つまり沖側で海面の水温が高く、左側の沿岸域は水温が低い。だから、黒潮が蛇行すると、そのふくらみの左側、つまり本州の岸に近い側ですね、ここに広い冷水域が現れる。黒潮の右側と左側とでは海面水温の差がとくに大きくなっているという点が、大切なポイントだ。

大気は海面で暖められるので、海面水温の差が大きいということは、大気の温度も急に変わっているということだ。このように、隣り合った大気の温度に大きな差があるところでは、低気圧が発達しやすい。つまり、黒潮の上空は低気圧が発達しやすい状況になっている。

もしかりに、黒潮が蛇行しているとき、南岸低気圧が本州の岸に沿って移動してきたらどうなるか。低気圧は広い冷水域に突入し、発達に好都合な海面の温度差もほとんどなくなってしまう。

早崎さんは、「低気圧は、黒潮の流れる道筋に沿って動いたほうが衰えずに生き残りやすい。だから、生き残ったたくさんの南岸低気圧を集計すると、黒潮に沿う傾向がみえる結果になるのだろう」と説明する。

研究は着眼点の勝負

余談だが、いやじつはこれも大切なことなのだが、中村さんの研究は、指導した学生の卒業論文が出発点になっている。2010年3月に卒業した楊術(ヨウ・ジュツ)さんが、黒潮と南岸低気圧の通り道の関係を分析し、それに中村さんが東京の雪に関連する部分を加えて、全体をプロの世界で通用する本格的な論文に仕上げた。卒論レベルだと、高度な分析テクニックはまだ使えない。気象庁が公表しているおなじみの地上天気図をもとに、低気圧の経路をひとつひとつ地道に追跡した。

研究者になるための専門教育を大学院で受けていない学生でも、地道な努力で価値ある科学を発見できる。着眼点の勝負。そんなスリルと懐の深さが地球科学にはあるんですね。自然は、上手に問いかければ、大学生にもベテラン研究者にもわけへだてなく答えを返してくれる。自然科学の基本を、この研究は思い出させてくれました。

文責:サイエンスライター・東京大学特任教授 保坂直紀

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