東京大学 海洋アライアンス 日本財団

TOPICS on the Ocean

海の雑学

深海の貝はタウリンで元気

ちょっと疲れが残ってるな。そんな気分の朝、タウリン入りと大きく書かれた栄養ドリンクに手が伸びる。我が家には常備しているのだ。飲んでばっちり効いたと実感したこともないが、タウリンの過剰摂取に副作用はほとんどないと書かれた論文もあることだし、まあ飲んじゃえ。今回は、そんなタウリンと深海生物のお話を。

タウ4リンは、たんぱく質を構成するアミノ酸によく似た物質。人間の体にも、筋肉や肝臓などあらゆる部分に含まれていて、血圧を調整したり肝臓や心臓の機能を保ったりする働きがあると報告されている。じつは、栄養ドリンクなど常備しなくても、タウリンは魚介類などを食べることで摂取できるし、そもそも私たちは体内で作ることができる。赤ちゃんはタウリンを作る力が弱いので、母乳や粉ミルクからもらう。ネコも自分では十分に作れず、食物として与えないと失明するという論文もある。

深海生物はタウリンで身を守る

このタウリンを、深海にすむ貝やエビなどは、私たちとは違う独特の仕方で使っている。深海の劣悪な環境からこれで身を守るしくみを発達させているのだ。

熱水噴出孔のまわりに群れるシチヨウシンカイヒバリガイ

熱水噴出孔のまわりに群れるシチヨウシンカイヒバリガイ。中央のやや右側に、ゆらゆらと熱水が湧き出す噴出孔が見える。撮影した小笠原諸島近くの水曜海山は水深約1400メートル。本来は真っ暗闇の世界が、無人探査機「ハイパードルフィン」の照明であざやかに浮かびあがった(海洋研究開発機構提供)

深海の環境は過酷だ。まず、ものすごい水圧。水圧は10メートル深くなるごとに1気圧増えるから、水深1000メートルだとおよそ100気圧にもなる。これは、1センチ・メートル四方に100キロ・グラムもの力が加わっている圧力だ。また、太陽が海面を照らす光は、水深500メートルくらいまでいくとほとんどまったく届かない。だから深海は真っ暗闇。深くなるとともに水温は下がり、水深1000メートルではもう摂氏4度くらいの低温になってしまう。それに加えて、猛毒が海底の所々から噴き出している。この猛毒がタウリンと関係がある。

ここでいう猛毒の正体は、硫化水素という物質だ。海底には、熱水がわき出る熱水噴出孔という穴がある。「孔」というのは、突き抜けた穴のこと。海底に開いた穴から、地下のマグマで温められた摂氏300度とか400度とかの熱水が噴き出している。まあ、いわば海底温泉ですね。私たちがすむ1気圧の世界では、水は100度になるとすべて気体の水蒸気になってしまうので、300度のお湯というのはありえない。だが、深海の水圧はあまりに高いので、こんな高温でも水が水蒸気になれない。この熱水に硫化水素が含まれている。水深何千メートルもの深海にわく硫化水素入り熱水のまわりに、貝やエビなどが、まるで湯治場に集まるように群れになって生息しているのだ。

猛毒の硫化水素を無毒化する

熱水噴出孔にはいろいろな生物が集まってくる

熱水噴出孔にはいろいろな生物が集まってくる。シチヨウシンカイヒバリガイの群れに、ユノハナガニ、ネッスイハナカゴ、マリアナイトエラゴカイも参入。伊豆諸島の明神海丘(水深約1300メートル)で(海洋研究開発機構提供)

ここで、硫化水素について説明しておこう。硫化水素は、硫黄の原子が一つと水素原子が二つ結びついた物質。室温では気体だ。その臭いは、よく「卵の腐った臭い」といって嫌われる。火山ガスの成分なので、火山の恵みである温泉にもしばしば含まれている。俗に硫黄の臭いといわれる温泉がこれだ。私は、いかにも温泉っていう感じで大好きですが、この臭い、どうしても好きになれない人もいますね。

それはともかく、硫化水素には毒性がある。濃度によっては呼吸障害などを引き起こす。空気に0.1%ほど含まれているだけで致命的とされる。以前、マンホールの中で下水道の工事をしていた作業員が硫化水素による中毒で死亡する痛ましい事故が起きた。下水のように、栄養分があって酸素がほとんどない環境だと、バクテリアの活動で硫化水素が発生する。

深海生物は、この硫化水素の毒消しにタウリンを使う。正確には、タウリンになる前段階のヒポタウリンという物質を使う。シチヨウシンカイヒバリガイ(※)という深海の二枚貝を研究している東京大学大気海洋研究所の井上広滋教授によると、この貝はヒポタウリン使いの名手だ。海水に溶けた硫化水素は、貝の体内でヒポタウリンと結びついてチオタウリンという物質になる。猛毒の硫化水素がくっついたチオタウリンなんて、なにやら体によろしくない物質のようだが、そうではない。チオタウリンは保湿性があるとされ、洗顔フォームや乳液などの化粧品にも含まれている。つまり、シンカイヒバリガイ類は、体内にためておいたヒポタウリンを使って硫化水素を無毒化するのだ。

猛毒を利用する作戦

そればかりではない。シンカイヒバリガイ類は、この硫化水素を、もっと積極的に利用しているらしい。

シンカイヒバリガイ類は、「化学合成細菌」とよばれる特殊な細菌を体内に飼っている。この細菌は、硫化水素を利用して栄養分を作り出す。ちょうど、植物が、太陽の光を使った光合成でデンプンを作るのとおなじだ。シンカイヒバリガイ類にとって、こうして細菌が作った栄養分を自分の食料として使えれば好都合だ。

しかし、難問がある。この細菌を活動させるには、自分の体内に猛毒の硫化水素をどんどん取り込んで細菌に届けなければならない。そこで使われるのが、さきほど説明した無毒化のしくみだ。詳細はよくわかっていないが、チオタウリンにしていったん無毒化した硫化水素を切り離して細菌に与え、その見返りに栄養分をもらっているらしいのだ。

どうせ硫化水素という毒の中で暮らしているのだから、徹底的に使い尽くしちゃおうという作戦。「毒を食らわば皿まで」というか、「災いを転じて福となす」というか、「虎穴に入らずんば虎子を得ず」というか。どれもちょっと違うかな。そして、シンカイヒバリガイ類は、すむ場所の環境によって、体内で飼う細菌の種類を変えているのだという。シンカイヒバリガイの仲間たち、恐るべしである。

深海の不思議な生き物

このような深海生物の不思議がわかってきたのは、ここ30年ほどのことだ。かつて、深海底は死の世界と思われてきた。ところが1977年、太平洋の東の端にあるガラパゴス諸島近くの深海底で、米国の潜水調査船「アルビン号」が、ゆらゆらとわき出る熱水を目撃した。このとき、それまでの常識ががらりと変わった。熱水のまわりに貝やエビなどの生き物が群生していたのだ。水深2500メートルの生物群。どれも見たことがない。生物学者たちは、このような珍しい生き物を見つけると放っておけない。採取してきて、その特徴をあの手この手で調べるのだ。

そしてわかってきたことのひとつが、かれらの体にはチオタウリンがたくさん含まれていることだった。では、なんのためのチオタウリンなのか。ためしに実験室でシンカイヒバリガイ類に硫化水素などを与えてみると、チオタウリンが増えた。ということは、生き物にダメージを与えるはずの硫化水素に関係があるらしい......。このほかにも、どのようにして熱水の高温に耐えるのか、有害な重金属からどうやって身を守っているのか。深海生物のいろいろな秘密が、すこしずつ解きあかされてきた。

タウリンで毒から身を守る深海生物の奇妙なしくみが、どのようにしてできあがったのか。驚くばかりだが、よく考えてみると、私たちの体内にも、チオタウリンの材料になるヒポタウリンはたくさんある。シンカイヒバリガイたちは、それを硫化水素の毒を消すというユニークな目的で使った。想像を超える厳しい環境に思える深海だが、そこに住めるようになるのは、「じつは、ほんのちょとした工夫。案外、ハードルは低いのかもしれない」と井上さんはいう。深海生物は、生き物の柔軟さとしたたかさを実感させてくれる。

※ こんなにカタカナが長く続くと、どこで切ったらよいのかわかりませんね。シチヨウシンカイヒバリガイの切れ目は、シチヨウとシンカイヒバリガイ。小笠原諸島近くの海域には、月曜海山、火曜海山、......と名づけられた海底の盛り上がりがある。これを七曜火山列といい、このあたりにいる貝なのでシチヨウシンカイヒバリガイ。

文責:サイエンスライター・東京大学特任教授 保坂直紀

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