Marine Biosecurityマリンバイオセキュリティ
海外の水産動物で発生している疾病のリスク評価書
近年、世界の漁業・養殖業生産量は増加し続け、2018年は2億1209万トンとなっており、水産物の貿易も世界で拡大しています。水産物の移動が増加することで、魚介類の新しい疾病の発生やまん延も増え、世界各地で大きな経済的損失をもたらしています。
日本にも現在までに、20種類以上の水産動物の疾病が海外から侵入し、天然および養殖の水産動物に大量死などの深刻な被害をもたらしてきました。最近でも、タイから輸入された養殖用のバナメイエビに、日本で初めて急性肝膵臓壊死症(AHPND)の発生が確認されました。
このように、現在も海外からの疾病の侵入は続いており、水産動物は新たな脅威にさらされ続けています。養殖における魚病被害額は、近年では100億円程度と、ピークだった1994~1995年ごろの300億円と比較すると低下していますが、新たな疾病の侵入により被害が再び広がる危険性はつねにあります。
被害額が減少している背景には、ブリなどの魚類養殖におけるワクチンの普及があると考えられています。しかし、ワクチンでブリの損失を減らすことができても、その接種コストはかかり続けます。薬剤で治療を行う場合には、投薬のコストがかかります。いちど疾病が侵入しまん延すると、こうして予防や治療のコストがかかり続けることになります。したがって、疾病の対策として重要なのは、海外から疾病を侵入させないこと、また侵入した場合にはまん延させないことです。
日本では、法令に基づき、水産動物の疾病の海外からの侵入防止(輸入防疫)および国内でのまん延防止(国内防疫)が行われています。現在、輸入防疫・国内防疫ともに、対象疾病として24疾病、対象動物として21種類が指定されています。
対象動物や対象疾病を決めるにあたり、農林水産省は「リスク評価」を行います。ここでのリスク評価とは、水産動物に重篤な疾病を引き起こす病原体が、日本に侵入、定着、そしてまん延することにより予想される影響の程度を評価することです。評価の結果、影響が大きいものについては、公的な防疫措置の対象となります。
しかし、法令の改正に関わるリスク評価書の作成・公表には、その妥当性についての議論も必要で、海外で新たな疾病の発生が確認されてから公表までには時間がかかります。そのため、早期に対策を実施するには、実際に種苗の導入や養殖管理を行っている養殖業者・企業や漁業協同組合などの関係者が、海外で新しく出てきた疾病についての情報をいち早く知り、疾病の侵入やまん延を防ぐためにはどうすべきかを考え、国の施策を待たずに行動に移すことが非常に重要です。
そこで、海外で発生している疾病の情報を養殖の現場に提供することを目的とし、東京大学海洋アライアンスが実施する大学院生向けの「海洋学際教育プログラム」は、その活動の一環としてリスク評価書を独自に作成する取り組みを2020年度から始めました。
2020年度の取り組みとしてここに掲載するのは、近年海外で発生し、国際的にも重要なエビの3疾病(急性肝膵臓壊死症、DIV1感染症、EHP感染症)のリスク評価書です。日本では昔からクルマエビの養殖が行われていますが、近年、海外から輸入した種苗を用いたバナメイエビの陸上養殖が注目されており、養殖事業に参入する事業者が増えています。そうした状況から、エビの疾病についての情報は緊急性が高いと考えたためです。この3疾病については、いずれも人への感染は報告されていません。
ここではまず3つの疾病の概要を説明します。リスク評価書の本文には、病原体、宿主、発生地域、症状、診断法などの疫学情報とそれに基づくリスク評価を詳しく記載しています。
急性肝膵臓壊死症Acute Hepatopancreatic Necrosis Disease(AHPND)
本疾病は、感染後すぐに発症し、死亡率が非常に高いため、当初は早期死亡症候群(early mortality syndrome)と呼ばれていましたが、肝膵臓の病変が特徴的な症状であることから、現在は急性肝膵臓壊死症と呼ばれています。2009年に中国で初めて報告されて以降、ベトナム、マレーシア、タイ、メキシコ、フィリピン、南アメリカ、アメリカ合衆国に感染地域が拡大しており、ウシエビ、バナメイエビ、コウライエビでの感染が報告されています。病原体は、特殊な毒素を産生するビブリオ属細菌です。アジア地域では、この疾病の発生により生産量が激減したことから、エビの価格が高騰しました。
本疾病は、国際的にまん延を防止すべき重要な疾病として、国際獣疫事務局のリスト疾病に指定されています。日本でも2015年にリスク評価が行われ、2016年から法令に基づく輸入防疫・国内防疫の対象疾病となり、防疫措置がとられていました。ですが、残念ながら2020年にタイから輸入したバナメイエビの種苗とともに沖縄県に持ち込まれ、大量死を引き起こしました。本疾病には有効な治療法はありません。なお、本疾病については、2015年に農林水産省によりすでにリスク評価書が作成されていますが、今回掲載するリスク評価書は近年の情報をもとに内容を更新したものです。
DIV1感染症Infection with Decapod iridescent virus 1 (DIV1)
本疾病は、2014年に福建省および浙江省の養殖場での発生が初めて報告されて以来、中国全土に広がっており、甲殻類十脚目に広く感染が確認されています。また、インド洋で漁獲された野生のウシエビでもPCRで陽性であったことが報告されています。病原体は当初、Shrimp haemocyte iridescent virus(SHIV)やCherax quadricarinatus iridovirus(CQIV)という名前で報告されていましたが、現在はDecapod iridescent virus1(DIV1)と呼ばれています。
症状には、体色の赤変、殻の軟化、肝膵臓退色・萎縮などがありますが、あまり本疾病に特徴的なものはありません。ただし、オニテナガエビが感染した場合は、非常に特徴的な症状として、吻の付け根の甲羅の下に白い三角形の領域が観察されます。致死率は100%に達する場合もあります。
本疾病は、現在はまだ、国際獣疫事務局のリスト疾病に指定されていませんが、2021年5月に指定される見込みです。また、アジア地域においてまん延を防止すべき重要な疾病として、国際獣疫事務局アジア太平洋地域事務所への四半期報告(QAADレポート)のリスト疾病に指定されています。日本では、今のところ、法令に基づく輸入防疫・国内防疫の対象疾病とはなっていませんが、日本に侵入すると天然エビや養殖エビが感染し被害がでる可能性があります。本疾病には有効な治療法はありません。
EHP感染症Infection with Enterocytozoon Hepatopenaei (EHP)
本疾病は、2004年にタイで初めて報告されて以降、インド、ベトナム、ブルネイ、インドネシア、中国に感染地域が拡大しており、ウシエビ、バナメイエビ、ブルーシュリンプでの感染が確認されています。病原体は、単細胞の寄生虫である微胞子虫のEnterocytozoon Hepatopenaei (EHP))であり、肝膵臓に感染することから、本疾病は肝膵臓微胞子虫症(Hepatopancreatic microsporidosis (HPM) とも呼ばれています。本疾病に感染しても、特に外観症状は観察されませんが、成長が著しく遅くなります。
国際獣疫事務局のリスト疾病とはなっていませんが、QAADレポートのリスト疾病には指定されています。日本では、法令に基づく輸入防疫・国内防疫の対象疾病とはなっていませんが、日本に侵入すると天然エビや養殖エビが感染し被害がでる可能性があります。本疾病には有効な治療法はありません。