RESEARCHERS Interview
「モホール」ならぬ「モウォール」です
東京大学大気海洋研究所 沖野郷子教授
―いま、念願のプロジェクトが動き出したそうですね。
「はい。水深何千メートルもの深海底に横たわる断層を調査して、おなじ海底といっても、なぜ場所によってこんなにバラエティーに富んでいるのか、新たに生まれてくる海底は時代とともにどう性質を変えてきたのかを明らかにしたいと思っています。世界で初めての調査です。」
―計画につけた名前に、その意気込みが感じられますね。
「共同研究者の発案で「モウォール計画」と名づけました。60年前の米国の大プロジェクト「モホール計画」を意識した名前です。」
米国は1960年前後に、ふたつの巨大科学プロジェクトを計画した。ひとつはアポロ計画。人類を月に着陸させ、安全に地球へ帰還させる計画だ。当時のジョン・F・ケネディ大統領が1961年に計画を発表し、1969年のアポロ11号でその夢を果たした。
もうひとつのプロジェクトがモホール計画だ。地球の表面は卵の殻のような「地殻」でおおわれていて、その下には「マントル」という岩石がつまっている。その境目は「モホロビチッチ不連続面」、通称「モホ面」とよばれている。モホール計画の「モ」はモホ面のモ。「ホール」は「穴」。海底は陸より地殻が薄いので、そこに穴を掘ってモホ面に到達し、マントルを掘り出そうという計画だ。だが、メキシコ湾で183メートルの深さまで穴を掘ったところで終了し、マントルには届かなかった。科学者たちは、マントルに届く穴を掘る夢を、いまも国際協力で追い続けている。
穴を掘らずに壁を見る
―モウォール計画の「ウォール」は「壁」ですよね。穴ではなくて。
「そうです。モホール計画の後継とは別物です。モホール計画と同様に海底地殻の直下にあるマントルに注目するのですが、穴を掘るのではありません。海底には、深い谷のような溝ができて地殻とマントルが谷の斜面に露出している場所があります。「トランスフォーム断層」という海底の裂け目にあるこの谷の壁面を削り取るのです。2020年の10月に大型の学術研究船「白鳳丸」で、インド洋のマリーセレステというトランスフォーム断層に行く予定です。」
海底に、細くて長い傷口のようにぱっくりと溝を刻んだトランスフォーム断層。マリーセレステでは、水深6000メートルの谷底に落ちていく高さ4000メートルほどの斜面が、約200キロメートルにもわたって東西に続いている。この断層の特徴は、谷のこちら側から見ると、向こう側の壁面の右手のほうが新しく左手のほうが古いことだ。壁面のできた年代が右手と左手で約1000万年も違う。
海底はつねに新しく生まれて移動している。海底に亀裂のように走る「海嶺」とよばれる線状のマグマの湧き出し口があり、そこから新しい海底が左右に分かれて広がっていく。マリーセレステの壁面は、右手にある海嶺から海底が順送りされてきている。だから右手のほうが新しく、左手に向かうと、より古い海底地殻とその直下のマントルを見ていることになる。
海底のできかたは、昔と今でどう違うのか?
インド洋西部の海底地形。陸上に負けず劣らず起伏に富んだダイナミックな地形だ。(沖野さん提供)
―モウォール計画では、ひとつの海底が昔と最近とでどう変化しているのかを、時間的に連続して調べられるわけですね。
「海底の生まれ方は太平洋と大西洋で違うし、おなじ海底でも、生まれるときのマグマのでかたなどが時代によって違うのではないかと考えられています。海底に穴を掘るモホール計画型の作業はとても大掛かりなので、そうたくさん掘ることはできません。海底面から深いところまで切れ目なく岩石を採取できる特長はありますが、隣り合った場所にたくさん穴を掘って、時代とともに変化した様子を調べることは難しい。」
「モウォール計画では、1か所で採取する岩石は浅いところと深いところの2点ですが、これを谷の壁に沿って20キロメートルおきに繰り返します。これを10か所、200キロメートルにわたって行うと、浅い地殻の岩石と深いマントルの岩石が、約1000万年前から最近までにどう性質を変えてきたかがわかるはずです。」
―そんな深いところの岩石を、どうやって取ってくるのですか。
「いろいろ工夫はしていますが、原理は単純です。船からケーブルでかごを下ろし、それを引きずって、かごの口から岩石を中に取りこみます。ただ引きずるだけだと、壁面の岩石ではなく、たまたまそこに落ちていた石を拾ってきてしまうかもしれません。だから、慣れとコツも必要です。たとえば、かごが引っかかって動かなくなり、さらに引っぱってガクッと動いたら、「ああ、ちゃんと壁面の岩石がはがれて取れたんだな」とわかります。最近はかごにカメラをつけているので、採取するときの様子がわかります。」
陸の地面や海底面から穴を掘ってマントルまで届いたことは、まだない。では、わたしたちはまだマントルの岩石を見たことがないかというと、そうではない。トランスフォーム断層から採取したり、隆起して海底から地上に持ちあがった地層から採ったりした試料がある。しかし、調査によって採取場所がばらばらだったり、時代とともに海底の生まれ方がどう変わるかを追いにくかったり、つまり、断片的な情報しかない。それを、おなじひとつのトランスフォーム断層について、過去1000万年におきたことを連続的、系統的に調べる。これがモウォール計画の特長だ。
海は地球表面の7割を覆っている。その底は、つねに海嶺で生まれ続け、移動して、大陸の縁でふたたび地球の深部へと没していく。わたしたちは50年前に38万キロメートルかなたの月に人類を送ったが、海面下せいぜい10キロメートルの海底についての知識は、まだまだ乏しい。学術的にいえば「諸説いりみだれている」状態だ。海洋底科学は、わたしたちの足元に横たわる広大な未知の世界に挑む試みだ。
人生、いろんなチャンスがあります
―最初にお会いしたときは、わたしは新聞記者、沖野さんは当時の科学技術庁にお勤めでしたね。
「東京大学の大気海洋研究所に来たのは1999年です。当時は前身の海洋研究所でした。それまでは海上保安庁に勤めていて、そのとき科学技術庁に出向していました。海上保安庁では船に乗って海底の調査をしていました。」
―海上保安庁の仕事が嫌になって転職したのですか。
「そうではありません。海底を調べる面白さを知ってしまったのです。」
―それなら、なにも転職しなくても……。
「海上保安庁での調査はとても楽しかった。いつまでも調査の現場にいたいと思いました。ですが、べつに海上保安庁にかぎったことではありませんが、年齢が上になってくると、どうしても現場から離れがちになります。なんとか現場に近い仕事を続けられないものかと。」
「たまたまなのですが、出向した科学技術庁では、いま海洋研究開発機構にある地球深部探査船「ちきゅう」の計画を立てていました。わたしが担当ではなかったのですが、その運用計画を脇で見ていて、科学者と船の運用の仲立ちをする仕事があるのだと知りました。現場に近いそんな仕事もよいかなあと思いました。」
―でも、転職って、そう簡単ではないですよね。
「外に出るためには、きちんと博士の学位を取っておこうと思いました。わたしは京都大学の修士課程を修了して海上保安庁に入ったのですが、修士時代の恩師だった安藤雅孝教授が「博士は取っておきなさい」と強く勧めてくれていたのです。そこで、海上保安庁に在職したまま論文を書いて博士の学位を取ることにしました。フィリピン海の海底の研究がテーマです。大学の博士課程にいれば、アドバイスしてくれる人は周りにたくさんいますが、海上保安庁はアカデミックな仕事が目的ではないので、そのなかで学術論文を書くのは苦労しました。安藤先生との出会いは、わたしの人生にとって最高にラッキーでした。」
「そして、もうひとつのラッキーな出会いが、学位の審査に加わってくれた海洋研究所の玉木賢策教授です。京都大学には海洋底の専門家がいなかったのです。それが、わたしと海洋研究所との出会いにもなりました。」
―もともと海洋底の科学に興味があったのですか。
「大学3年生のときの演習では気象学をやっていました。4年生の卒業研究も気象学でと思ったのですが、希望者が多くて……。「あみだくじ」で外れました。それで地震学を専攻し、修士論文も地震学の分野でした。」
―就職は厳しくなかったですか。
「修士時代の専門からすると、地下の探査をする民間会社が有力な就職口でした。ですが、当時は女性の採用は厳しい状況で、それならば公務員がよいだろうと思って、ちょっと専門は違いますが、海上保安庁に行ったわけです。」
―二転三転ですね。
「若い人たちにぜひ伝えておきたいのは、思ったとおりにならなくても、人生ってけっこう楽しいということです。悲観することはありません。人生には、いろんなチャンスが待っています。わたしの「あみだくじの人生」も、こんなに楽しいんですから。」
文責・構成:東京大学海洋アライアンス 保坂直紀