RESEARCHERS Interview
海洋学で大切なのは学際的な視点です
東京大学大学院新領域創成科学研究科/大気海洋研究所 木村伸吾教授
――新聞などのウナギの記事でお名前をみかけるので、てっきりウナギの研究者だと思っていました。
「むかしからウナギにこだわっていたわけではなく、海流などの海の環境が生物に与える影響を調べる「水産海洋学」から研究を始めました。ウナギの研究にかかわるようになったのは、東大の海洋研究所(現大気海洋研究所)の助手だった1991年からです。」
──ウナギのまえは、どんな論文を書いていたのですか。
「大学院の学生だったころは、ブリやイカナゴと海流の関係について研究していました。1992年に書いた論文では、瀬戸内海の東部でイカナゴの漁獲量が1年おきに増減する理由を、風でおきる海水の流れなどとの関係で明らかにしました。」
海の生き物に関係がある研究分野には、いろいろある。水産学は、川や海にすむ魚介類などの生態や漁業、養殖、流通などについて研究する。水産海洋学は、とくに生き物どうしの関係や、海流や水温などの海洋環境と生き物との関係に注目して研究する分野だ。簡単に例えると、魚の漁獲量の増減を調べるのは水産学、その増減と海流との関係を調べるのが水産海洋学だ。それぞれに応じて、日本水産学会、水産海洋学会といった学会がある。
現代の科学研究は細分化されつつあり、狭い領域だけを扱う専門的な学会や研究会も多い。しかし、これでは自分の専門以外の研究に触れる機会が減り、現代社会が必要とする複合的な思考をもとにした研究がしにくくなる。この風潮を心配する研究者も多い。
ウナギとの出会いは会心の航海
――その1991年には、なにがあったのですか。
「1991年の6月から7月にかけて、「白鳳丸」という研究観測船でウナギの調査がおこなわれたのです。リーダーは、そのときわたしも所属していた東大海洋研究所の塚本勝巳助教授(現日本大学教授)。この航海に、わたしも参加したのです。」
──どういういきさつで参加することになったのですか。
「わたしが、海の生物について、海流や水温といった海の物理的な側面との関係に着目して研究していたからです。ウナギの研究といっても、そもそも海の研究は、生物や物理、化学などの領域がかかわりあう学際的なものなのです。」
ウナギは、どこで生まれるのか。ウナギは世界各地で古くからなじみ深い食材だったのに、その産卵場所がわからなかった。卵や生まれたてのウナギを、だれも見たことがなかったからだ。古代ギリシャでは、大地から自然発生すると考えられていたという。
ウナギの産卵場所の調査は、ニホンウナギよりもヨーロッパウナギが先行していて、1904年には大西洋で「レプトセファルス」が採取された。ウナギは、生まれてからしばらくは、平たくて細長い柳の葉のような体形をしている。これがレプトセファルス。やがて細長いシラスウナギになり、成長して親になる。だから、レプトセファルスがいたということは、その近くに卵からかえった場所があるということだ。
ニホンウナギ(以下の写真は木村さん提供)
ニホンウナギの産卵場所がすこしずつわかってきたのは、1970年ころからだ。1967年に、沖縄の南方海域でレプトセファルスがみつかり、1973年には、もっと小さなレプトセファルスが、さらに南の台湾東方沖でみつかった。
このあたりは、黒潮という強い海流が北向きに流れている。レプトセファルスは、黒潮に乗って南から来ているのではないか。ということは、さらに黒潮の上流にさかのぼれば、ニホンウナギの産卵海域がわかるかもしれない。1991年の航海では、体長が1センチくらいの小さなレプトセファルスを、グアム島西方の海域で1000匹近くも採取する大成果をあげた。
細長い体形になる前のレプトセフアルス
――1991年の航海の成果が、研究者ならだれもがあこがれる科学誌「ネイチャー」で1992年に発表した論文ですね。しかも、表紙にたくさんのレプトセファルスの写真が載った目立つ扱いで......。
「そうです。あれは塚本さんが書いた論文ですが、わたしも、このときの調査をもとに、ウナギの産卵場所と海流や「塩分フロント」の関係に注目した論文を1994年に書きました。」
ウナギは生まれ故郷の水を覚えているのか
――塩分フロントとは何ですか。
「海には3.4%くらいの塩分が含まれています。赤道の近くでは雨がさかんに降るので、海の表面近くでは塩分が薄まります。つまり赤道の北側では、赤道に近いところで塩分が薄く、それより北に行くと、あるところを境に急に塩分が濃くなるのです。性質の違うこの海水の境目を「塩分フロント」といいます。塩分フロントは東西に延びています。」
──塩分フロントとウナギの産卵とは、どういう関係があるのですか。
「1991年の調査でレプトセファルスが採取されたのは、ほとんどが塩分フロントのすぐ南側、つまり塩分の薄い側だったのです。」
このあたりの海域には、東から西に向かう北赤道海流が流れている。フィリピンの近くまで流れてきた北赤道海流は、そこから北に向かう黒潮と、南に向かうミンダナオ海流に分かれる。
ミンダナオ海流の行く先にあるインドネシアに、ニホンウナギはいない。塩分フロントの南側で生まれたウナギは北赤道海流で西に流され、うまい具合に黒潮に乗って日本にたどりついたものが親ウナギに成長する。
子ウナギを運ぶ海流
北に向かう黒潮に乗るには、北赤道海流の北寄りを西に流れていくほうが有利だ。北半球の海では、海の上を風が吹くと、海水は風の向きではなく、風の向きの右方に動く性質がある。ウナギが生まれる海域では、東から西に「貿易風」が吹いているので、海水は北に動く傾向にある。そのため、子ウナギは、西に向かう北赤道海流の北寄りの部分に乗りやすくなる。
このウナギの移動パターンは、その後の研究でさらに細かく確かめられていく。その原形を示したのが、1994年の木村さんの論文だ。子ウナギという生物の移動と、海流、塩分フロントという海の物理的な側面が結びつけられている。
――親ウナギは、日本から南に泳いできて、塩分が薄まったことに気づいて卵を産むのですか。
「それは違うと思います。塩分はフロントを境に急変するのですが、その違いは、濃度の差にして0.1%もないわずかなものです。これをウナギが感知することはできないと思います。」
──では、なにを目印にしているのでしょう。
「可能性のひとつが、海中をただよう小さな懸濁物です。プランクトンの死がいなどが分解された「マリンスノー」ともよばれるものです。このマリンスノーの性質も、塩分フロントを境に、南と北で違っていました。マリンスノーは子ウナギの餌になると考えられています。親ウナギは、このマリンスノーによる水の性質の違いを目印にしていると思われます。」
――親ウナギが、自分が小さいころに食べたマリンスノーの「味」を覚えているというのは、とてもおもしろい話ですが、それ以外に目印になりそうなものはないのでしょうか。
「それはわかりません。わたしたちが気づいていない何かがあるのかもしれません。そのあたりのことは、海水の成分分析に詳しい化学分野の専門家に、ぜひ調べてほしいものです。」
海底の地形もウナギに影響を与える
現在では、ニホンウナギの卵も実際に海で採取され、グアム島のすぐ西が産卵場になっていることが確認されている。日本から3000キロもの旅をしてきたたくさんのメスとオスが、なにかを目印に、この狭い海域に集まってくる。
そのひとつが塩分フロント。そして、このあたりには、海底からそびえたつ「海山」が南北に列をつくっている。頂上が海面のすぐ下にまで達している海山だ。
――塩分フロントと海山ですか。
「日本から南へ向かって泳いできたウナギは、塩分フロントを目印に、どれくらい南で卵を産めばよいかを知る。東西のどのあたりで産めばよいかは、海山の位置でわかる。東西に延びるフロントと南北に並ぶ海山の交わったところがウナギの産卵場になる。これまでの研究からは、そう考えるのが自然だと思います。」
――船で調査したデータで研究するとなると、調査できなかった年のことが気になります。海流だって、年によって流れ方が微妙に変わるでしょうし。
「わたしたちがあらためて船で観測しなくても、過去に観測された海流などのデータはそろっています。それを使って、海流に流されるウナギのゆくえを、コンピューターで計算することができます。数値シミュレーションですね。海でエルニーニョがおきると、ウナギの養殖に使うシラスウナギが日本の沿岸で不漁になるのですが、その理由を数値シミュレーションで探ることもできます。」
「塩分フロント」と「海山」を目印に産卵海域を目指す
エルニーニョが発生しているとき、北赤道海流に乗った子ウナギは、黒潮に乗り換えて日本に来ることができず、その多くがミンダナオ海流に乗ってインドネシアなどへ行ってしまう。塩分フロントが南下するので、子ウナギが北向きの黒潮に乗り損ねてしまうのだ。海を対象とした生物と物理の研究が結びつけられ、ウナギの謎は、こうしてすこしずつ解き明かされていく。
日本の川はウナギ泣かせ
――最近は、ウナギと川についても研究なさっているようですね。
「海から日本の川にのぼったシラスウナギは、川で10年くらいかけて成長し、卵を産むためにまた海に出ていきます。ですが、ウナギが暮らす川の環境は、むかしとはずいぶん変わってしまいました。」
――護岸工事のことですか。
「そうです。ウナギにとっては、すみにくい環境です。護岸工事された川岸が多い川ほど、ウナギの減り方が激しいのです。実際に川でウナギを捕獲して調べてみると、自然な川岸のあたりにいるウナギは、ミミズをよく餌にしていました。ところが、護岸されたところで捕まえたウナギは、本来の餌であるミミズを食っていないのです。一体だったはずの川の岸と水が護岸により遮断されてしまえば、ウナギはもう、陸の生き物であるミミズは食えません。」
――ダムのような施設もありますね。
「シラスウナギは川をのぼり、親ウナギは川をくだります。ですが、川の途中でダムが水の流れを止めてしまうと、その行き来はできなくなってしまいます。河口堰は、ダムに比べれば影響は少ないと思います。ダムほどの水面の落差はないので、水門を開けたり魚道をつくったりすれば、ある程度は行き来できますから。魚道をつくるときは、岸に近いところだけでなく、川の真ん中あたりにもつくってほしいものです。」
学生たちよ、広い視野を持て
――海洋アライアンスでは、大学院の学生に海に関するさまざまな分野を学ばせる「海洋学際教育プログラム」に取り組んでいますね。大変そうですね。
「わたしは「サービス業」が好きなんです。大学院生になったばかりのころ、研究室の忘年会で山梨県の石和温泉に行ったことがあります。わたしが計画を立てました。ワイナリーの見学会や試飲会も組みあわせて。ツアーコンダクターですよ。教員もサービス業だと思っています。学生さんに新しい価値をつけてあげるというサービスです。海洋学際教育プログラムも、まさにそれなんです。」
――もともと大学の研究者になろうと思っていたのですか。
「父の仕事の関係で、高校はアメリカの現地校を卒業しました。けっこう勉強しましたよ。そして日本の大学に入ったのですが、楽なところだと思いましたね。将来は農林水産系の公務員になろうと考えていたのですが、3年生になったころ、「あれっ、オレはあんまり勉強してないな」と気づいたんです。よし、大学院に行こう。それがいまいる大気海洋研究所とのなれそめです。」
――大学生のころは、何をしていたのですか。
「鉄道好きなんですよ。国内の北から南までいろいろ乗りました。列車に乗るのが大好きな「乗り鉄」ですね。写真も撮りました。ですから、そこそこの「撮り鉄」でもあります。撮った写真でつくったパネルは、いまでも持っています。」
――船は好きですか。
「船には弱いのです。船酔いしてしまう。いまでも研究で航海に出るまえは機嫌が悪いらしいです。家族にそう言われます。」
木村さんが学生時代に撮った鉄道写真。上越線の水上付近で。
――では、船は嫌いなんですか。
「それがそうではなくて、いまの生活でもっとも充実しているのは、船に乗っているときなのだと思います。ひとつの航海が終わると、たしかな達成感が得られるんですよ。」
――いまの学生さんたちに一言を。
「わたしが大学院生だったころは、将来の展望を描くことができました。いま懸命に研究すれば、なんとか大学に残って研究者として食っていけるだろうという展望ですね。ところが、国が大学院生を増やしてしまった現在は、そうはいかない。修了したみんなを受け入れられるほどのポストは、いまの大学にはありません。だからこそ、自分の専門分野を極めつつも広い視野を身につけ、自分の将来についてさまざまな可能性を探ることが大切なのです。ぜひ広い視野を。これを忘れないでください。」
こちらは福島付近を走る東北本線の特急「ひばり」。
文責・構成:東京大学海洋アライアンス 保坂直紀