こんな論文を書きましたこんな論文を書きました

海域利用の「合意」は、いちど作って終わりではない

広場の向こうに砂浜が広がる「大森ふるさとの浜辺公園」
広場の向こうに砂浜が広がる「大森ふるさとの浜辺公園」
拡大図

最寄りの駅から海に向かって歩くこと10分ちょっと。弧を描く砂浜の水際で水鳥たちが羽を休め、ときどき魚が跳ねる。隣接する芝生では、母親のまわりを小さな子どもが元気に駆け回る──。

ここは東京都大田区の「大森ふるさとの浜辺公園」。むかしからあった公園ではありません。開園したのは2007年。海を埋め立てて下水処理施設と緑地をつくる計画が1980年代に持ちあがりましたが、住民などの反対で、いちどは中断されました。そして1990年代に「海の再生」をテーマとして計画を練り直し、開園にこぎつけました。

海岸をなにかの形で利用しようとすると、それに対して、さまざまな意見がでてきます。埋め立てて公園をつくり、憩いの場にするのがよいという意見。観光施設をつくってはどうかという意見。人があまり立ち入れない自然のままの状態で保存するのがよいという意見。こうしたさまざまな意見を調整し、その利用の仕方についてみんなの合意を得るのは、とても難しいことです。東京大学海洋アライアンスでは、海の利用について、多くの関係者の合意を得るにはどうすればよいかを研究しています。つまり、合意形成の方法論です。

杉野弘明特任研究員をはじめとする海洋アライアンスのメンバーは、「大森ふるさとの浜辺公園」の建設計画が、反対する人もいるなかでどのようにしてまとまったのか、この公園の利用者は海をどう思っているのかを調べました。みんなの合意を得ることにいちどは失敗し、ふたたび試みて開園にこぎつけたこの公園は、海の新しい利用の仕方をさまざまな関係者が考えていく際の、よい具体例になっているからです。

その結果をまとめたのが、「大森ふるさとの浜辺整備事業に見る海洋環境修復事業に伴う持続的合意形成の形」(土木学会論文集B3(海洋開発))という2016年の論文です。

関係者みんなで話し合う

人々が憩う白い砂浜が広がる
人々が憩う白い砂浜が広がる
拡大図

この「大森ふるさとの浜辺公園」には、おおきな特徴があります。公園を計画する段階だけではなく、工事中、そして2007年に開園したあとも、地域の住民を巻きこんで、よりよい「ふるさと」にしていくにはどうしたらよいかという話し合いが続いていることです。

海の埋め立てのように自然環境に手を加えたり、飛行場や道路のような大規模な工事を行ったりする場合、それによってどのような影響が出るかを事前に推定する環境影響予測は、多くの事業で実施されています。ですが、かりに「多少の影響は出るにしても、社会的に認められる範囲内だ」という結論が得られても、その「多少の影響」がとても嫌な人にとっては、この計画は認めがたいものです。「いきなり計画を出してきて、『多少の影響はがまんしろ』というのは、いったいどういうことなんだ」と怒りを買い、みんなが納得する「合意」には至らない可能性があるのです。

石を並べた磯もある
石を並べた磯もある
拡大図

過去にいちど計画が中断された「大森ふるさとの浜辺公園」の場合は、地元の大田区や地域の住民、工事関係者、学識経験者などが「工事連絡会」をつくり、半年ごとに話し合いの場を設けてきました。人工的な砂浜をつくるときに使う砂の種類についても、この連絡会で話し合われました。杉野さんが行った聞き取り調査によると、このような場を設けることで、住民を含むこの事業の関係者間の温度差が小さくなり、一緒に事業を進めていこうという気持ちが生まれてきたといいます。

住民の参加意識が高まっていく

このような流れのなかで、工事が鳥や魚に与える影響の調査を、NPOの力を借りて住民の側が行うようになりました。このような影響調査では、事業を進めたい行政側の調査結果とそれに反対する側の調査結果が、おなじ対象を調査した結果でありながら、おおきく食い違うこともあります。そのため、行政側が「住民側の調査」をかならずしも歓迎しないこともあるのですが、「浜辺公園」では、住民側の調査も工事連絡会などで報告されました。これが、データの信頼性を高めることになったといいます。

「浜辺公園」は2000年に埋め立て工事が始まって2007年に開園するのですが、工事中の2002年に「大森ふるさとの浜辺公園を考える会」が発足し、公募した住民を加えた50人体制で、海岸の風景をどうつくっていけばよいかを検討し始めました。このあたりは、江戸時代には海苔(のり)の大産地でした。しかし、1950年代から加速した埋め立てや水質の悪化で、東京オリンピック間近の1962年末に漁業権が放棄され、海苔の養殖は終わりました。海と密接にかかわる暮らしをしてきた地域だけに、浜辺への関心はもともと高いのです。

「考える会」では、行政側と住民側がおなじテーブルにつき、これまでの歴史や工事、そして将来像までが議論されました。

地域の「将来」にみんなで責任を持とう

杉野さんが注目しているのは、将来まで視野に入れて議論をしていた「考える会」の姿勢です。かりに、影響予測調査で工事が終了した直後のことがわかっても、その先の将来がどうなるかはわかりません。地域そのものの様子も変わってくるだろうし、いま最適だと考えた計画が、そのまま将来の地域に受け入れられるともかぎりません。「浜辺公園」は、いちど造成してしまえばそれで終わりなのではなく、その時々に合わせて「変化」していくことが必要なのです。

杉野さんは言います。「将来のことなど、だれもわからないのです。いまなにかをすれば、それで将来の生存環境が侵されるかもしれない。だから、将来についても責任を持つという意思表示が大切です。今がどうだということだけでなく、過去から現在、さらに将来について考える。みんなで将来のことを考えていくんだという姿勢を明らかにする。それが海の利用についての『合意形成』には大切なのです」

「考える会」は発足の翌年、その名称をさらに前向きな「大森ふるさとの浜辺公園をつくる会」に変え、説明会や現場の見学会、植樹祭などを公園の完成まで続けていきました。開園直後には、さらに「大森ふるさとの浜辺公園を育てる会」と名前を変え、近くの商店街まで巻きこんで、広報誌の発行や浜辺の清掃ボランティア、花壇の管理も行っています。かつては海苔の養殖で栄えたこの海を、どう利用していくのか。それを検討する関係者の集まり自体が、「考える会」「つくる会」「育てる会」と成長してきました。

浜辺公園の端にある「大森海苔のふるさと館」
浜辺公園の端にある「大森海苔のふるさと館」
拡大図

また、この「浜辺公園」の中には、開園の翌年に開館した入館無料の「大森海苔のふるさと館」があります。かつて海苔の養殖や輸送に使われた舟や、海苔にまつわる歴史や文化が紹介されています。建物の3階には、公園の全体が見渡せる休憩室があり、近くの住民がひと休みしながら集う交流の場にもなっているといいます。

「いろいろな人が集まって、そのつど必要なことを追加したり修正したりして柔軟に将来像をつくりかえる。それができると、たんに事業実施に向けたある時点での『合意形成』ではなく、将来にわたってつねに合意された状態が続く動的な『持続的合意形成』が生まれる。そういうシステムこそが合意形成にとって重要なのではないか」と杉野さんは指摘します。

公園に来る回数が多い人は「海」そのものに思いをはせる

杉野さんは、この公園を利用する人が、海についてどんなイメージを抱いているのかも調べました。2015年の11〜12月に公園へ行って、そこにいた人に、「東京湾という言葉からどんなことを連想するか」を聞いたのです。

その結果、この公園に来た回数が2〜9回の人は、「台場」「海苔」「屋形船」「アクアライン」といった施設や物を多く挙げました。ところが、10〜49回の人は、「水」「魚」「汚い」「思う」というような抽象的な言葉や気持ちの表現を挙げ、さらに50回以上の人になると、「昔」「比べる」「水質」「良い」などの歴史的背景や東京湾の変化に触れていました。つまり、この公園を訪れた回数が多いほど、具体的な「物」から抽象的な視点にイメージが移り、自分自身を中心とする見方から東京湾を主体とする見方が強まっていたのです。

この調査では、公園になんども来るうちに意識が変わっていったのかどうかはわかりません。なぜなら、ある特定の人を追跡調査したわけではないからです。逆に、もともと東京湾の歴史に興味を持っていた人が、この公園に繰り返し来ているのかもしれません。しかし、この結果は、「大森ふるさとの浜辺公園」と海への意識の持ち方に、なにか関係がありそうなことをうかがわせます。

ある海域で新たな海の利用法を考えるとき、みんなが納得できるようにするためには、そこに関係する人たちが利用法について「合意」することが必要です。これまでは、事業を実施する時点で、どうやって「合意」にこぎつけるかという点に注意が払われていました。つまり、合意は、その時点での静的な絵画のようなものだったのです。杉野さんたちのこの論文は、みんながよりどころにできる合意には、つねに柔軟に姿を変えていく動画のような視点が大切だということを指摘したことになります。

page top