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海底熱水噴出孔の生態系

カテゴリ 海底に眠る鉱山—熱水鉱床
掲載日 2009.07.20
海洋研究所 小島茂明

 近年、新たな資源として注目を集めている深海の熱水鉱床は、海底下から噴出する熱水に溶解している金属成分が海水によって急激に冷やされ析出したものである。熱水にはこうした金属の他にも硫化水素やメタン、水素などの還元的な物質が含まれており、活動中の熱水噴出孔の周辺には、そうした還元物質を使って有機物を合成する細菌に基盤を置く独自の生態系が形成される(図1、2)。そこには、ハオリムシ(チューブワーム)やシロウリガイに代表される動物が生息している。熱水噴出孔の周辺に分布する動物の多くは、熱水噴出域あるいはメタン湧水域などを含めた深海の還元環境の固有種であり、熱水鉱床の開発に当たっては、そうした生態系の適切な保全が求められている。

図1 伊豆・小笠原弧の水曜海山で発見された熱水噴出域の生態系

図1 伊豆・小笠原弧の水曜海山で発見された熱水噴出域の生態系

図2 中央マリアナトラフのアリススプリングスフィールドで発見された熱水噴出域の生態系

図2 中央マリアナトラフのアリススプリングスフィールドで発見された熱水噴出域の生態系

 熱水鉱床の場合、ストレートにメタンを奪い合うメタンハイドレートの開発とは異なり、必ずしも人間と現場の生物が直接競合するのではないので、より"生態系に優しい"開発が可能であるかもしれない。しかし、海外では海底掘削により熱水の噴出状況や性質が変わり、生態系に壊滅的な影響を及ぼしたのではないかと疑われている事例もあり、開発の場所や方法の選定には慎重な検討が必要である。

 深海底資源開発が生態系に及ぼす影響の実証的な研究例は、世界的に見てもまだほとんどないのが現状である。したがって、正確な評価を実現するためには、まず試験的に資源開発をおこない、その影響を長期的にモニタリングして、データを蓄積していくしかない。現時点では、開発によってどの様な影響が出るのか、あるいは出ないのかが全く未知数である。したがって、試験的な開発をおこなう場所の選定にあたっては、万が一、生態系を壊滅させる様な結果になったとしても、生物多様性に不可逆的な影響を及ぼす危険のない場所を探すのが肝要である。

 一般に熱水域は爆発や熱水噴出の停止など、変動の大きな環境である。単独の熱水噴出孔の寿命は100年程度と言われ、熱水域固有種が生存できる期間は限られている。熱水域の活動が終わる前に他の熱水域にたどり着き、定着する事ができない種は生き残る事ができないはずである。にもかかわらず、多くの熱水域の固有種が知られているという事は、そうした固有種が遠く離れた熱水域へ分散する能力を持っている事を意味している。そうした能力として、受精卵の発生を熱刺激によって開始させたり、低温で発生を遅延させたりする事により冷たい一般の深海に滞在できる時間を増やして、熱水域にたどり着く可能性を高める、熱水が放射する微弱な光を感知するなどの例が知られるが、まだまだ未知の分散機構があると思われる。いずれにせよ、熱水域固有種のほとんどの集団に対して、ある確率で幼生が行き来する様な別の熱水域の集団が存在すると期待される。
 熱水鉱床の開発により仮にある場所の生態系が一時的に衰退しても、熱水噴出が続いていれば、近隣の熱水域から供給される幼生の定着の結果、元のものと類似した生態系が比較的短期間で再生されるだろう。実際、海底火山の噴火などによって、生物が絶滅した熱水域の生態系が回復する様子を追跡調査した研究例が2例あり、どちらも生物相が急速に回復していく様子を報告している。しかし一方で、生態系を構成する生物の種組成は、物理環境だけでなく、生物種間の相互作用、更にはどの種が先に定着するかと言った偶然の作用によっても変わってくるので、全く同じものが再生されるとは限らない。似て非なるものが再生されるかもしれないのである。更に、それぞれの種の地域集団が持つ遺伝的特性は、その場所で長い時間をかけて生み出されたものであり、一度失われた遺伝的特性が遺伝子の突然変異により再び蘇る可能性は、限りなくゼロに近い。熱水噴出域の生物の中に、有用な遺伝子資源が眠っている可能性もしばしば強調されるが、何よりも、繰り返すことのない、ただ一度の進化によって生まれた遺伝的多様性を最大限尊重し、保全する姿勢が、海底資源の開発にあたっても必要であろう。

 今後、熱水鉱床の資源として利用を推進するにあたり、可能な限り多くの種について、熱水域間の幼生分散の実態を把握し、それに基づいて開発をおこなう海域を設定するとともに、対象とする熱水域の中に、適度な頻度で保護区を設定して、開発の終わった熱水域への幼生分散を保証する事が必要である。

Contents
研究者発の海の話
水産業の振興に向けた海の「砂漠化」対策
海溝というもの
漁村を活性化するのは「心」なのか「環境」なのか?
高性能な船を実験水槽で開発する方法をウェブでわかりやすく説明する
地球温暖化だけでサンゴ礁の国は水没しない
海中ロボットで海を身近に
河川の構造物はニホンウナギの行く手を阻んでいるか?
「赤潮」の頻発と養殖漁業 ~インドネシア・ランプン湾を例に~
大学における学際海洋教育を推進するための基礎データ
島嶼(とうしょ)における海洋保護区のあり方と意義
海洋生物の多様性保全と利用を考える
海を守る、地球を守る
我が国の離島の保全・管理や振興
海面上昇に対する沖ノ鳥島の維持
「海」から展開する情報プラットフォームとネットワーク
海洋深層水の利用
うみあるきとは?-システム開発の目的と方針
現代の海賊問題と日本
沿岸域利用についての合意形成メカニズムの評価検討
次世代海洋研究者の育成
陸と海のつながりと海洋生態系
大学における学際的海洋教育研究
漁業をまもる先端技術
海底に眠る鉱山—熱水鉱床
海洋に関わる諸活動のコスト・ベネフィット評価
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