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地球工学的手法の合意形成は可能か?-鉄散布実験を例として-

カテゴリ 海を守る、地球を守る
掲載日 2011.12.26
大気海洋研究所 津田敦

 現在想定されている地球工学的手法とは、「温暖化抑制を目的とした大規模な地球気候システムへの人為的介入」を指す。地球温暖化は広く認知されるようになり、その対策は、大きく、排出抑制、温暖化緩和、順応に分けられよう。国連気候変動枠組条約締結国会議が定期的に開催され温暖化気体排出規制の枠組みが議論されているが、現在のところ、人為的二酸化炭素放出は最悪のシナリオに沿って、年々増加している。このような状況下、すなわち、排出抑制に明るい見通しが立たない状況下で、もう一つの対策である地球工学的手法による温暖化緩和が議論されるようになった。地球工学的手法は大きく、二酸化炭素吸収技術と放射調整技術に分類される。我々のグループが1998年以来行ってきた海洋鉄散布は二酸化炭素吸収技術の一つである。

図2 船上における鉄散布の準備。黄色のタンクに海水を満たし酸性化させた後、硫酸鉄(茶色の袋)を溶かす。手前の鼠色のタンクはマーカー物質を溶かしており、2液を混合し、船尾より海面下に注入する。

図2 船上における鉄散布の準備。
黄色のタンクに海水を満たし酸性化させた後、硫酸鉄(茶色の袋)を溶かす。
手前の鼠色のタンクはマーカー物質を溶かしており、2液を混合し、船尾より海面下に注入する。

2005年までに行われた主な海洋鉄散布実験(旗印)。コンタは年平均硝酸濃度(World Ocean Atlas 1994)。

図1 2005年までに行われた主な海洋鉄散布実験(旗印)。コンタは年平均硝酸濃度(World Ocean Atlas 1994)。 [図を拡大]

図2 鉄散布実験SEEDSでの鉄散布域における葉緑素(クロロフィル)濃度の増加の様子。

図3 鉄散布実験SEEDSでの鉄散布域における葉緑素(クロロフィル)濃度の増加の様子。 [図を拡大]

 海洋鉄散布(実験)とは、植物プランクトンが増えられず栄養塩が十分余っている海域(南極海、亜寒帯太平洋、赤道湧昇域)に不足している微量元素である鉄を添加し、植物プランクトンを増やし、それに伴う、二酸化炭素の大気から海洋への吸収をはじめとする、生物化学的応答を明らかにすることを目的とした実験である。鉄散布実験のもともとの目的は、「鉄が植物プランクトンの増殖を制限しているか」を確かめることにあったが、1990年台にはいり、二酸化炭素吸収技術としての検証が含まれるようになった。すなわち、植物によって固定された炭素の行方、二酸化炭素以外の温暖化気体の動態、生態系への影響なども重要な側面として捉えられるようになった。2005年までに12の鉄散布実験が行われており(図1)、結果が報告されている(Boyd et al. 2007)。我々は、北太平洋でおこなった3回の実験(SEEDS1), SERIES2), SEEDS II1))に参加した。これらの実験を例にとって簡単に説明する。実験は、目的海域10km×10km程度に鉄濃度が2ナノモルとなるよう硫酸鉄溶液を加える(図2)。これに必要な鉄の量は純鉄に換算して300‐60kg程度である。鉄散布後は、添加した海域を見失わないように、水塊を追跡しながら化学物質や生物の挙動を明らかにしていく(図3)。我々の実験も含めて多くの実験では、珪藻という大型の植物プランクトンが増殖するが、沈降粒子の増加はそれほど顕著ではなく、二酸化炭素の吸収技術としては、当初予想したより効率が悪いことが明らかとなった。


 2007年にスールー海で、豪国により尿素散布実験が行われ、この実験は有害な藻類の増殖の可能性など周辺環境への負の影響が懸念され、批判の対象となった。これを機に、海洋への添加実験一般に対する風当たりが強くなり、生物多様性条約や海洋投棄を規制するロンドン条約の枠組みで鉄散布実験など添加実験への規制が強化されている。現在、ロンドン条約においては商業的な物質散布の全面禁止(鉄散布や深層水散布なども含む)、実験レベルの散布に関しては審査が課せられている。すなわち、我々が次の鉄散布実験を実現しようとした場合、条約で決められたプロトコルに従い日本の政府機関(環境省)が審査し、許可を得ることが前提となる。しかし、国内での手続きなど前例がないため、これらのシステムを組み上げ、許可を得るのは多大な労力が必要と思われる。

 鉄散布実験への規制は、地球工学的手法の合意形成の難しさの一面を端的に表している。国連海洋法条約や日本の海洋基本法に謳われるように、海洋は人類共有の財産であり、その利用は国際的な取組の中で国際的協調の下、行われなくてはならない。一部の暴走を抑止することは重要であるが、そのために過剰に慎重になったり許認可にシステムが複雑になったりすれば、そもそも判断の基準となるべき科学的知見の集積を遅滞させるであろう。

 英国王立協会(The Royal Society)は、2009年秋に、現在想定されている地球工学的手法をレヴィウし3)、各手法について、コスト、効果、安全性、技術開発の程度などを評価した。しかし、もっとも難しいのは、合意形成ではなかろうか?たとえば、成層圏へ高輝度のエアロゾルを散布する方法はコストも低く実現性も高いとされているが、この手法の導入によって利益のある地域もあるが不利益を被る地域もあろう。結果の予測、因果関係の証明、不利益の補填など、合意形成へ道のりは険しい。なお海洋鉄散布にかかわる国際法的な問題は奥脇(2010)にまとめられているので参照してほしい。

(注1)SEEDS: Subarctic Pacific Iron Experiment for Ecosystem Dynamics Study。北西部亜寒帯太平洋で実施された鉄散布実験。2001年にSEEDS Iが、2004年にSEED IIが行われた。

(注2)SERIES: Subarctic Ecosystem Response to Iron Enrichment Study。カナダ共同で2002年に東部亜寒帯太平洋で実施された鉄散布実験。

(注3)http://royalsociety.org/Geoengineering-the-climate/

参考文献
  • Boyd et al. (2007) Mesoscale iron enrichment experiments 1993-2005: Synthesis and future direction. Science, 315: 612-617
  • 奥脇直也 (2010) ロンドン(ダンピング)条約と海洋肥沃化実験――CO2削減の技術開発をめぐる条約レジームの交錯。ジュリスト10月15日号(N0. 1409)、38-46
Contents
研究者発の海の話
水産業の振興に向けた海の「砂漠化」対策
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海洋深層水の利用
うみあるきとは?-システム開発の目的と方針
現代の海賊問題と日本
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陸と海のつながりと海洋生態系
大学における学際的海洋教育研究
漁業をまもる先端技術
海底に眠る鉱山—熱水鉱床
海洋に関わる諸活動のコスト・ベネフィット評価
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