研究者発の海の話研究者発の海の話

海溝というもの

地震が起きると、それに関連して「海溝」という言葉をよく聞きます。海溝は、この地球の海底で最も深いところにある溝です。マリアナ海溝のビジャージ海淵の深さは、1万1900mを超えます。2011年3月11日に東北地方を襲った東日本大震災では、日本海溝で起こった大地震が大津波を引き起こしました。

日本列島の近くに海溝という超深海があることを人類が最初に知ったのは、明治維新の直後、1870年代のことでした。しかし、なぜこのような深い溝があるのかという科学的な理由が判明したのは、ほぼそれから1世紀の後、1960年代でした。海洋底拡大説からプレートテクトニクス理論の成立を受け、深海底の岩盤である海洋プレートが別のプレートとぶつかるところで、海洋プレートが地球深部へ沈み込んでいき、その力によって深い溝ができることがわかったのでした。

それとは反対に地球表層で地形的に一番高いところ、すなわちヒマラヤ山脈やアルプス山脈の形成も、プレート同士がぶつかるという同じ原因で説明されました。しかし、それは海洋プレートではなく、大陸のプレート同士がぶつかり合うことによると説明されたのです。

ヒマラヤ山脈は、高さが9000m近くに及びます。大陸のプレートは、表面の地殻が、海の地殻と異なり厚いのです。古い大陸は、地殻の下のマントルが新しい時代のマントルに比べて軽く、プレートが海洋プレートのように容易には沈み込めないのです。そのため、重なり合って山を作ってしまうのです。

「なぜ山がそこにあるのか、海はどうしてできたのか」。この問いは、おそらく人類が誕生して以来、繰り返されてきたはずです。しかし、その問いへの基本的な答えが得られて、まだ半世紀しか経っていません。このこと自体が驚きでもあります。半世紀前といえば、人類がはじめて月に降り立ったころ。科学・技術の長足の進歩を得て、月に人類は降り立ちました。ですが、海溝へはいまだ直接足を踏み入れてはいません。海溝は、地球に残された最後のフロンティアなのです。

さて、地球で最大規模の地震と津波を引き起こすのが、この海溝でのプレートの動きです。

かつては、地下深くにナマズが住んでいて、それが悪さをして地震を起こすと考えられていました。そして天には雷神、風神がいて、天変地異の風水害をもたらす。それらの自然の神々を鎮めるために様々な儀式を施し、自らの行動も律する。そのようにして日本でも、世界中どこでも、何千年も何万年も自然災害に対応してきたのです。

ガリレオ、ニュートンらによる17世紀の科学革命以来、科学はその自然の謎を一歩一歩解明し、自然への恐怖から人類を解放してきました。特に20世紀の科学・技術革命の飛躍は、多くの社会で迷信から人々を解き放ち、安心・安全・安定した生活を営める環境を少しずつ築き上げてきました。

このシリーズでは、海溝について現代科学によってわかってきたこと、いまだわからないことを、(1)海溝の地形的姿、(2)海溝の物理的姿・地震、(3)海溝の地質的物質的姿、(4)海溝は地球深部へ開かれた窓、(5)海溝の未来――の5回シリーズで記していこうと思います。

※東京大学海洋アライアンス・イニシャティブ「海溝のグローバル比較」の活動などをもとに執筆しました。

(東京海洋大学学術研究院特任教授(元東京大学教授) 木村学)
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