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海が酸性化する

自分を振り返ってそう思うのだが、人が関心を持てるのは、ほんとうに自分の手の届く範囲なのですね。遠くなれば興味も関心も薄くなる。わたしはいま東京に住んでいるから、東京でおきていることには関心がある。だが、申し訳ないけれど、大阪のできごとには関心が薄い。娘や息子が赤ん坊だったころは、人間が言葉を習得していく過程にとても興味があった。なんといっても身近ですから。言葉を身につけるまえでも、たとえば三段論法のような論理思考はできるのか。そんなことも観察していたっけな。

温暖化と酸性化


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突然ですが、ここで問題です。大気中の二酸化炭素が増えた結果として引きおこされる、地球規模の困った現象は何でしょうか。きっと多くの人は「地球温暖化」と答えると思う。二酸化炭素が増えると地表の熱が宇宙へ逃げだしにくくなり、地球の平均気温が上がってしまう現象だ。暑い夏が増え、台風が強くなるかもしれないという予測もある。陸にすむ人間は、これに無関心ではいられない。

もし人間が海の生き物だったら、すぐにもうひとつの答えを挙げるはず。いや、こちらが先かもしれない。それが、これからお話しする海洋の酸性化だ。二酸化炭素がよりたくさん海に溶けて、海が酸性に傾いていってしまうのだ。その結果、たとえばウニが育ちにくくなる。カキなどの貝類の成長に異変がおきる。サンゴの分布も変わるかもしれない。陸に住んでいる人間にはいまひとつピンとこないが、海の生態系をがらりと変えてしまいかねない大問題だ。

海の酸性化で、生き物はさまざまな影響を受ける。これまでの研究で、受精率が下がる、発育が悪くなるといった現象が指摘されている。深刻なのは、ウニや貝など殻をもつ生き物だ。海の酸性化が進むと、殻を作れなくなる可能性が高いからだ。


酸性になるわけではない

そもそも海洋の酸性化とは、どのような現象なのか。

海であろうと湖であろうと、はたまたコップの水であろうと、空気と接している液体には空気が溶け込む。もちろん、空気に含まれる二酸化炭素も溶け込む。二酸化炭素が溶けた水は酸性になる。大気中の二酸化炭素が増えると海に溶ける二酸化炭素の量も増え、海の酸性度は増す。これが海洋の酸性化だ。

もっとも、酸性化とはいうものの、海の水がほんとうに酸性になってしまうのではない。海水は本来がややアルカリ性なので、それがすこし酸性側に傾いて中性に近づくということだ。

では、海洋が酸性化すると、なぜ生き物は殻を作れなくなるのか。

ウニの殻や貝殻は、炭酸カルシウムという物質でできている。炭酸カルシウムは、海に溶けている「炭酸」(正確には炭酸イオン)と「カルシウム」(正確にはカルシウムイオン)が結びついてできる。ここでは詳細を省くが、海に二酸化炭素がたくさん溶け込むと「炭酸」が足りなくなり、炭酸カルシウムができにくくなる。だから、生き物が殻を作りにくくなる。このあたりのからくりは、ちょっと複雑なので、下の<おまけ>にまとめておきました。ご興味のある人は、ぜひどうぞ。

以上で、海の酸性化と生物への影響についての基本はおしまい。これから、観測や実験の結果を含め、もうすこしていねいにお話ししよう。

酸性化とウニ

酸性化①写真
栗原さんの実験室。青い水槽では、シラヒゲウニを使って酸性化と温暖化の影響を実験中(写真はすべて栗原さん提供)
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2013年9月に「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」が公表した報告書によると、海洋の酸性化は現実に進行している。現在、表層の海水の酸性度は「pH(水素イオン指数)」(※)で8.1程度だが、これは、産業革命前に比べると0.1ほど低下しているという。pHは、数値が小さいほど酸性度が高いことを示すので、これは海が酸性化してきているということだ。

海の酸性化で生き物が悪影響を受けることは、水槽での飼育実験で確かめられている。たとえば、ウニ。琉球大学の栗原晴子・助教がホンナガウニで実験したところ、幼生の成長に影響がでた。

海を漂っているウニの幼生は、成長とともに炭酸カルシウムの角を伸ばす。やがて、親とおなじようなコロンとした塊が体内で育ち、角は短くなって稚ウニになる。その幼生の段階に異常がでた。飼育する海水を二酸化炭素の多い空気にさらすと、幼生は正常な大きさに育たなくなり、角もあまり伸びなくなった。現在の大気の30倍くらいの極端な高濃度では、角はまったくできなかった。

いま、将来の地球温暖化を予測する際にふつう想定する二酸化炭素の増加量は、せいぜい100年後に現在の3倍くらい。だが、その程度でも、ウニ幼生の成長に悪影響がおよぶ兆しが見られるという。

このほか、受精直後の卵の発育は遅くなり、殻を作る際に重要な遺伝子の働き具合も悪くなった。海の酸性化は、ウニにとって大迷惑なのだ。

酸性化①写真

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酸性化②写真

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酸性化③写真 拡大図
いろいろな二酸化炭素濃度で飼育したホンナガウニの幼生。現在の二酸化炭素濃度(左)、その約7倍(中)、約30倍(右)。濃度が上がるほど育ちくくなる。

酸性化しやすい海域がある

いまのところ、地球の海全体をみた場合、生き物がいっせいに炭酸カルシウムの殻を作れなくなるほどの大規模な酸性化はおきていない。だが、安心はできない。東京海洋大学の川合美千代・准教授によると、生き物への影響が早めに表れそうな海域があるという。

ひとつは、北極や南極など極域の海。二酸化炭素は水温が低いほど溶け込みやすいので、極域の海水は酸性度が高まりやすい。

もうひとつは、海の深いところから海水が上昇してくる「湧昇(ゆうしょう)」という現象がみられる海域だ。南極周辺の一部や米国の太平洋岸などが、これにあたる。水深の浅いところに多いプランクトンなどが死んで沈んでいくと、やがてその体は分解される。そのとき二酸化炭素が発生する。だから、海は深いところの酸性度が高い。このような海水が湧昇してくれば、海面近くの酸性度が高まりやすい。

もうひとつある。それは、河川の水が流れ込む海域だ。海水に含まれている「炭酸」や「カルシウム」が薄まってしまうので、生き物が炭酸カルシウムの殻を作りにくくなる。

川合さんたちのグループが2008年に北極海でおこなった観測では、「アラゴナイト」とよばれる炭酸カルシウムの殻ができなくなるほど、表層の海水が薄まっていた。近年、海氷が解けてきていることが、直接の原因らしい。放っておけば、2040~50年には北極海の全域がこのような状態になる可能性を指摘した論文もある。また、2007年には、米国の太平洋岸でも酸性化が確認されている。こちらは湧昇によるものだ。いずれも、酸性化の危機がすぐそこにあることを示している。

北の海には「流氷の天使」とよばれるクリオネがいる。赤ちゃんがパタパタ羽ばたいているように見える、愛らしい小さな生き物だ。クリオネの餌は、ミジンウキマイマイというプランクトン。マイマイ(カタツムリ)という名のとおり、アラゴナイトの殻を体の一部にまとっており、酸性化の打撃をもろに受ける可能性がある。そうなれば、流氷の天使も、もうそこにはいられないかもしれない。

(※)液体が酸性かアルカリ性かを示すのが「pH」という数値。学校では「ピー・エイチ」と習うが、世間ではドイツ語読みにして「ペー・ハー」ともいう。液体が酸性かアルカリ性かは、液体に含まれている「水素イオン」の濃度できまる。pHは、この濃度を簡単な数字で表した数値だ。pHが7だと中性。それより小さいと酸性で、大きいとアルカリ性。数値が小さいほど酸性度が高い。pHは、水素イオンの濃度が何百倍、何千倍と大幅に変わっても、数値はあまりかわらないように圧縮した表示方法になっている。逆にいうと、pHの数値がすこし変わるだけで、ほんとうの酸性度は大きく変化する。pHが0.1小さくなるだけで、水を酸性化させる水素イオンは約3割増しになっている。


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<おまけ>
二酸化炭素は、水に溶けると、水の分子と結びついて水素イオンと炭酸水素イオンに分かれる(①式)。イオンというのは、原子や原子の集まりがプラスやマイナスの電気を帯びたものだ。炭酸水素イオンは、さらに水素イオンと炭酸イオンに分かれる(②式)。二酸化炭素が水にたくさん溶けて①式で水素イオンが増えると、その水素イオンが②式で使われて炭酸水素イオンが増える。その結果、水素イオンと同時に使われる炭酸イオンが減る。

さあ、大変だ。こうなると、炭酸イオンとカルシウムイオンが結びついてできる炭酸カルシウム(③式)、つまり生き物の殻ができにくくなる。原料の炭酸イオンが減ってしまっているからだ。

この話は、高校化学の「化学平衡」「ルシャトリエの原理」と関係が深い。その説明は割愛します。

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